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『東京物語』(とうきょうものがたり)は、1953年に公開されたモノクロの日本映画である。監督は小津安二郎、主演は笠智衆と原節子。『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)で原節子が演じたヒロインはすべて「紀子」という名前であり、この3作品をまとめて「紀子三部作」と呼ぶことがある〔紀子 小津安二郎の戦後 - 文藝春秋BOOKS 〕。昭和28年度文化庁芸術祭参加作品。 上京した年老いた両親とその家族たちの姿を通して、家族の絆、夫婦と子供、老いと死、人間の一生、それらを冷徹な視線で描いた作品である。戦前の小津作品、特に『戸田家の兄妹』などにすでに見出されるテーマだが、本作でより深化させられることになった。「ロー・ポジション」を多用し、カメラを固定して人物を撮る「小津調」と形容される独自の演出技法で、家族を丁寧に描いている。家族という共同体が年を経るとともにバラバラになっていく現実を、独特の落ち着いた雰囲気でつづっている〔四方田犬彦(『日本映画史110年』集英社新書 2014年p.158)は「小津はそれ【家族制度のゆるやかな解体】を、正面の切返し、構図のなかの人人物の大きさの厳密な調整、これ以上削れないほどに単純化された科白といった様式のもとに、臆することなく描いた。おそらくそれは日本映画史のなかでもっとも禁欲的なフィルムであるだろう」と評している。〕。 数度にわたり、テレビドラマとしてリメイクされている。 オマージュとして『東京画』(ヴィム・ヴェンダース)、『みんな元気』(ジュゼッペ・トルナトーレ)とそのリメイク『みんな元気 (2009年の映画)』(カーク・ジョーンズ)、『珈琲時光』(侯孝賢)、『HANAMI』(ドーリス・デリエ)、『東京家族』(山田洋次)などがある。 == あらすじ == 尾道に暮らす周吉とその妻のとみが東京に出掛ける。東京に暮らす子供たちの家を久方振りに訪ねるのだ。しかし、長男の幸一も長女の志げも毎日仕事が忙しくて両親をかまってやれない。寂しい思いをする2人を慰めたのが、戦死した次男の妻の紀子だった。紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く。周吉ととみは、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったがそれでも満足した表情を見せて尾道へ帰った。ところが、両親が帰郷して数日もしないうちに、とみが危篤状態であるとの電報が子供たちの元に届いた。子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、とみは死去した。とみの葬儀が終わった後、志げは次女の京子に形見の品をよこすよう催促する。紀子以外の子供たちは、葬儀が終わるとそそくさと帰って行った。京子は憤慨するが、紀子は義兄姉をかばい若い京子を静かに諭す。紀子が東京に帰る前に、周吉は上京した際の紀子の優しさに感謝を表す。妻の形見だといって時計を渡すと紀子は号泣する〔末延芳晴『原節子、号泣す』(集英社新書)も指摘しているように、これはジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』でモーリン・オハラとあらぬ噂を立てられて去ろうとする牧師ウォルター・ピジョンから息子が時計を受け取る場面から採っている。『東京家族』でも、紀子(蒼井優)が同じように義母の時計をもらう場面がある。〕。がらんとした部屋で一人、周吉は静かな尾道の海を眺めるのだった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東京物語」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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