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東京維新の会(とうきょういしんのかい)は、日本の政治団体(地域政党〔公職選挙法や政党助成法における政党要件(国会議員が5名以上在籍している、または直近の国政選挙で有効得票の2%以上を得た)を満たしていないため、法制度上の政党には該当せず政治団体の扱いとなっている。〕)である。 後述するように当団体は2013年(平成25年)5月頃から国政政党「日本維新の会」の地方支部である「日本維新の会東京都総支部」(以下「維新東京支部」と表記)と不可分一体となっており、団体独自の活動が見られなくなっている。そのため当記事では同支部についても併せて解説する。2013年12月2日、解散。 == 概要 == 自民党・民主党を離党した都議3名が2012年(平成24年)9月10日に設立した東京都議会内の会派「東京維新の会」を母体として、9月27日付で政治団体として結成された。 結成当初は維新政治塾塾生の野田数都議を代表に据えた上で、日本維新の会の傘下団体として同年の第46回総選挙に向けた活動を行うとしていたが、10月上旬に起きた大日本帝国憲法復活請願問題がきっかけとなって日本維新の会側から連携を停止されるという事態に陥った。 これを受けて請願を紹介した野田都議が代表を辞任。相談役で大阪府市特別顧問の山田宏元杉並区長が後任の代表となり、憲法無効論を採らず日本維新の会と同様に改憲を目指すと表明したことで連携を回復、11月14日付で正式な地方組織入りに漕ぎ着けた。また同月中に団体の公式サイトとTwitterアカウントを開設している。 2012年(平成24年)12月16日に執行された第46回総選挙では、山田代表が東京19区、野田前代表が東京20区から日本維新の会の公認候補として出馬。両名とも小選挙区では大差で敗れたものの、山田代表は比例東京ブロックで復活当選を果たした。また同日執行の都知事選では推薦候補の猪瀬直樹が当選している。 総選挙後は2013年(平成25年)6月の都議選を目指した活動を行っていたが、同年5月頃に山田を代表とする維新東京支部が発足するとそちらに公式サイトを統合。公式Twitterの更新も4月24日を最後に途絶し、以後は東京維新の会としての独自の活動は見られなくなった。 都議選では当初は単独過半数を目指すとしていたものの、橋下徹共同代表の従軍慰安婦発言に端を発した支持率低迷の煽りを受け、勝敗ラインを「自民・公明両党による過半数阻止」「みんなの党と合わせて第一党」「議案提出権を得られる11議席獲得」「現有3議席の維持」と次々に引き下げていった。開票の結果、日本維新の会の公認34候補者中当選はわずか2人に留まり、公示前議席を下回る惨敗を喫した。野田前代表や栗下善行ら東京維新の会の結成メンバーも落選している。なお当選した2議員は会派名を「日本維新の会東京都議団」としたため、「東京維新の会」の名前は姿を消すことになった。 直後の参院選でも低迷傾向には歯止めがかからず、東京都選挙区(改選定数5)ではアナウンサーの小倉淳を公認候補として擁立したものの、413,637票で7位(惜敗率67.5%)と当選には遠く及ばなかった。参院選後の9月14日に維新東京支部としての総会を開催し、役員人事や規約の承認を行っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東京維新の会 (2012-2013)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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