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食糧ビルディング〔昭和初期のモダン建築 「食糧ビル」(江東・佐賀)が75年の歴史に幕 惜しまれつつ来春取り壊し、マンションに - 東都よみうり新聞社 バックナンバー 2002/11/08〕(しょくりょうビルディング)は、2002年まで東京都江東区佐賀(永代橋の東岸近く)に存在した建築物。食糧ビル。 1927年竣工〔佐賀町アーカイブとは - 佐賀町アーカイブ〕で、渡辺虎一の設計〔現代アートの発信地、取り壊しへ 「食糧ビル」、西部警察などのロケにも - asahi.com 2002/09/30〕〔(31)ビル業界四季報 - 『週刊ビル経営』 第307号(平成14年10月28日)〕。 == 歴史 == この近辺は、江戸時代(明暦の大火以降ともいわれる〔p.33 「5. 物流の街、深川」 - 「大消費都市、江戸」 東京海洋大学 苦瀬博仁〕)から西の隅田川と北の仙台堀川という水運が生かされて川岸に蔵(倉庫)が林立し、明治時代には米穀問屋の一大中心地となった〔江戸を支える仙台の米 - 宮城県・仙台市の歩みと七十七銀行〕。 当初は木造平屋建ての建物が置かれていたものの、1923年の関東大震災によって焼失。前述のように1927年に、鉄筋3階(地下1階〔)建てのビルとして復興された。1941年(食糧管理法が制定される前年)まで、深川正米市場の取引拠点として機能した〔エモーショナル・サイト展 「食糧ビルという場所」 - ART遊覧〕。戦後の1951年からは江東食糧販売協同組合の所有となり、民間の食糧関連会社がいくつか入居する形で使用された〔。 1983年 - 2000年までの17年間、「佐賀町エキジビット・スペース」(小池一子プロデュースの日本初ともいわれるオルタナティブ・スペース=美術館でもギャラリーでもない第三の場という意味〔)としても、活用された〔。 建物の老朽化もあり、2002年6月末に都内のマンション開発業者に売却され〔、解体後、集合住宅に生まれ変わった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「食糧ビルディング」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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