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東伏見慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年5月16日 - 2014年1月1日)は、日本の僧侶。旧華族、旧皇族。今上天皇の叔父に当たる。 久邇宮邦彦王の第3王子、旧名邦英王(くにひでおう)。夫人は伯爵・亀井茲常の次女・東伏見保子(亀井次女)。前衆議院議員・亀井久興は妻の甥。 == 生涯 == === 皇族時代 === 1910年(明治43年)、久邇宮邦彦王の第三男子として誕生。 東伏見宮依仁親王・同妃周子より実子のようにかわいがられており、依仁親王夫妻には子女がなかったため、邦彦王と相談の上、当時9歳であった邦英王を東伏見宮に永く預かりの形で迎えることとなり、邦英王は、1919年(大正8年)10月26日の吉辰を卜して東伏見宮邸に移った。 邦英王は依仁親王薨去の際は御沙汰によって葬儀の喪主を務めた。事実上、邦英王は、宮家の継承者であったといえる。しかし、旧皇室典範は、皇族に養子を認めていなかったため(第42条)、邦英王は東伏見宮を皇族としては継承することができなかった。邦英王を東伏見宮で養育することも、養子またはそれに類似した趣旨で宮内省が認めていたわけではない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東伏見慈洽」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Higashifushimi Kunihide 」があります。 スポンサード リンク
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