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繪島 千歌子(えじま ちかこ、1903年2月8日 - 没年不詳)は、日本の女優である〔キネマ旬報社, p.22-23.〕〔報知, p.276.〕〔''絵島千歌子''、''jlogos.com'', エア、2013年4月10日閲覧。〕〔''絵島千歌子''、''東八重子''、日本映画データベース、2013年4月10日閲覧。〕〔''絵島千歌子''、日本映画情報システム、文化庁、2013年4月10日閲覧。〕〔''東八重子''、日活データベース、2013年4月10日閲覧。〕。新漢字表記絵島 千歌子、本名・旧芸名東 八重子(あずま やえこ)〔〔〔〔。 == 人物・来歴 == 1903年(明治36年)2月8日、東京府東京市深川区(現在の東京都江東区深川)に生まれる〔〔。『世界のキネマスター』(報知新聞社)によれば、本名は東 八枝(あずま やえ)であるという〔。 日本聖公会系の旧制高等女学校である立教高等女学校(現在の立教女学院高等学校)を卒業する〔〔。満18歳のときに1921年(大正10年)、花柳章太郎が同年に設立した新派の劇団・新劇座に参加、翌1922年(大正11年)には、山田隆弥らの新劇の劇団・舞台協会に参加している〔〔。『世界のキネマスター』によれば、地方巡業団の女優として活動した経験があるとして、ダンス、乗馬、義太夫、西洋音楽、三味線等、万能である旨の記述がなされている〔。同年12月、日活向島撮影所での新派幹部俳優脱退のため、舞台協会が同撮影所と提携することになり、提携第1回作品『髑髏の舞』(監督田中栄三)に出演、同作は1923年(大正12年)3月15日に公開されて映画界にデビューした〔〔〔〔。 同年9月1日に起きた関東大震災で同撮影所は崩壊、同年12月、兵庫県西宮市甲陽園に移り、東亜キネマ甲陽撮影所に移籍、同社親会社の八千代生命の宣伝用劇映画である『求むる父』(監督獏与太平)に「繪島 千歌子」の名で主演した記録が残っている〔。『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)等では、『人生の故里』(『人生のふる里』〔、監督高木鉄也)で初主演とされている〔〔。1925年(大正14年)1月、同社の専務取締役関伊右衛門不在の折に、社用車の運転手が本社専務室に乱入、関の机を破壊、関と繪島との間の不適切な関係を暴露するという事件が起きた〔田中, p.30.〕。この事件を知った同社常務取締役立花良介が関の公私混同を指弾、スキャンダルは表沙汰にされたが、結果としては、関と立花が辞任して同社を離れ、繪島は同社に残留した〔〔〔。同年1月27日に公開された『邪宗門の女』(監督衣笠貞之助)での好演が評価されており、2か月のブランクののち、繪島は『新竹取物語』(監督曾根純三)に「未亡人お美根」で出演し、同作は同年4月8日に公開された〔〔〔〔。その後も、根津新、荒木忍の相手役や主演作に出演している〔〔〔〔。 満23歳になる1926年(大正15年)5月21日に公開された『消すな灯』(監督上月吏)に主演したのを最後に同社を退社、映画界を引退した〔〔〔〔。以降の消息は伝えられていない〔〔。没年不詳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「繪島千歌子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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