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東 勇路(あずま ゆうじ、1902年3月15日 - 没年不詳)は、日本の俳優である〔報知, p.320.〕〔映画世界社, p.127.〕〔''東勇路''、''jlogos.com'', エア、2013年3月15日閲覧。〕〔''東勇路''、日本映画データベース、2013年3月15日閲覧。〕〔''東勇路''、''東勇治''、''東勇二''、日本映画情報システム、文化庁、2013年3月15日閲覧。〕〔''東勇路''、''東勇二''、日活データベース、2013年3月15日閲覧。〕〔''東勇路''、''東勇治''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年3月15日閲覧。〕。本名中島 勇(なかじま いさむ)〔〔、芸名を東 勇治、東 勇二とクレジットされた時期もあった〔〔〔〔。小笠原明峰率いる小笠原プロダクション創立時のスター俳優であり〔、日活に移籍後は、現代劇のバイプレイヤーとして知られた〔。 == 人物・来歴 == 1902年(明治35年)3月15日、福岡県八女郡北山村(現在の同県八女市立花町北山)に生まれる〔〔。 旧制・福岡県立八女中学校(現在の福岡県立八女高等学校)を卒業し、旧制・西南学院高等学部(現在の西南学院大学)に進学するが、中途退学し、1923年(大正12年)の小笠原プロダクションの設立に参加した〔。学歴については、『世界のキネマスター』(報知新聞社)には、明治大学を卒業した旨の記述がみられる〔。1925年(大正14年)3月5日に公開された『水兵の母』(監督小笠原明峰)に主演し、人気を得る〔〔〔〔。1926年(大正15年)6月、同じく京都にある日活大将軍撮影所現代劇部に移籍した〔〔〔〔。1928年(昭和3年)には、『』を山本嘉次郎が脚本に翻案した『思ひ出の水夫』(監督田坂具隆)に主演、同作は同年10月5日に公開された〔〔〔思ひ出の水夫 、日活データベース、2013年3月15日閲覧。〕。前年に新設され、時代劇部が先に移転した日活太秦撮影所(のちの大映京都撮影所、現存せず)に、現代劇部も同年4月に移転しており、東も同様に異動した〔〔。 1935年(昭和10年)には、前年に買収した日本映画の撮影所を改称した日活多摩川撮影所(現在の角川大映撮影所)に現代劇部が移転しており、東も同様に異動した〔〔。満38歳となった1940年(昭和15年)9月5日に公開された『米若の妻』(監督春原政久)を最後に、以降の出演記録が見当たらない〔〔〔。時代は第二次世界大戦に突入し、以降の消息も不明である。没年不詳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東勇路」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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