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東勝寺(とうしょうじ)は、かつて神奈川県鎌倉市葛西ケ谷にあった寺院で、鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の菩提寺のひとつ。関東十刹の一つであった。 == 沿革 == 開山は栄西の弟子の退耕行勇、開基は北条泰時である。 1225年(嘉禄元年)、執権となった北条泰時は鎌倉の鶴岡八幡宮境内の南東、滑川をこえた葛西ケ谷の谷間に当寺を築き、北条一族の菩提寺とした。この寺は、菩提寺であると同時に有事に備えた城塞の意味をもった寺院であったと推測される。 1333年(元弘3年)、後醍醐天皇に呼応して鎌倉に攻め寄せた新田義貞の軍勢を迎え撃つべく、北条高時ら北条氏一門が当寺に篭もったが、成すすべもなく自ら火を放って自刃した(東勝寺合戦)。この時、建造物は焼失したが、直ちに再建された。また、北条高時一門が滅亡したのを悼み、現在の藤沢市に新たな東勝寺が建てられた。 室町時代には関東十刹の上位に位置づけられたが、その後は鎌倉府とともに衰退し、戦国時代には廃寺となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東勝寺 (鎌倉市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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