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株式会社エンドーチェーンは、宮城県仙台市を本拠地とする株式会社で、商業ビル「EBeanS」を仙台駅前で管理運営し、また、その他の不動産賃貸業を営んでいる。かつて、スーパーマーケットチェーン「エンドーチェーン」を東北地方を中心に展開し、当時の消費文化や芸能をリードした。 == 歴史 == 遠藤養吉(えんどうようきち)が、戦後まもなく、黒川郡吉岡町(現:大和町吉岡)に遠藤養吉商店を開店。1962年に、東北地方初となるスーパーマーケット「エンドーチェーン」を仙台市宮町にオープン。この際には宣伝に多額を費やしたほか、仙台駅前と店舗との間に、今でいうシャトルバスも運行された。その後店舗を徐々に拡大させ、宮城県ほぼ全域に店舗を構えるまでに成長した。 1964年3月20日には仙台駅前にフラッグシップ店舗である仙台駅前店を開店。1972年には新館をオープン、10階建で吹き抜けを有する大きな建物であった。この店舗は仙台市民、宮城県民に受け入れられ、「エンドーチェーン」の代名詞となる。1980年には日経流通新聞調べの『日本の小売業200社ランキング』でエンドーチェーンが41位にランクされ注目を集めた。また、創業者は『モーニングショー』内の名物コーナー「宮尾すすむのああ日本の社長」で取り上げられた。 当時のCMで流れていたキャッチコピーには「絵になるファッションの仲間たち エンドーチェーン」や「(プラスアルファの)生活感動店」〔現在は「楽しさをプラス!生活感動館!!」と公式サイトにて表記されている。〕などがあった。 しかし、エンドーチェーン全体としては、仙台市中心部では1975年に仙台店を開業したダイエーやジャスコといった他県資本の大手チェーン、仙台市郊外では藤崎スーパーマーケット、トーコーチェーン、岡崎スーパーマーケット(現:オカザキスーパー)などの地元資本のチェーンとの競争が激化。徐々に体力を消耗していく。さらに仙台市以外の宮城県内・岩手県・福島県・東京都でもイトーヨーカ堂グループ(イトーヨーカドー、ヨークベニマル)やニチイなどの他県資本やジョイスやベルグループなどの地元資本のスーパーなどが駐車場を備えた店舗を展開していくと、駅前立地で駐車場が少ないエンドーチェーンの店舗は対抗しきれず、客足が減少する。 1989年4月、エンドーチェーンは3ヵ年計画で、不振店を全面的に業態転換するか、または増床・改装する方針を固め当時の総店舗47店の内不振店16店を3年かけてテコ入れする決定を下した。また同年5月には取引行であった日本債券信用銀行からの最終答申を受け、社長をトップとする総合経営企画委員会を設け、1年程度をかけ経営上の諸課題を洗い出し、改善処置を執る体制を敷いた〔『決断のときをかさねて : エンドーチェーン創業80周年記念誌 』P 131 - 132〕。 1991年2月に株式会社西友(現:合同会社西友)から10%程度の資本参加を受け、経営、人事、商品施策など全般にわたる業務提携の調印を発表した〔「西友、東北で営業力 中堅スーパー「エンドーチェーン」と提携」『朝日新聞』1991年2月22日〕。提携によって西友は東北における本格進出の端緒を得た〔当時西友における東北の店舗は百貨店形式で運営する郡山西武(郡山市)のみであった。〕〔「エンドーチェーン、西友の傘下に 近代化へ遅すぎた決断、東北進出へ西友足固め」『日経流通新聞』1991年2月28日〕。これに基づき同年3月20日には経営を引き継ぐ新社としてエステートエンドーが発足した。同社社長には西友元常務が、会長には遠藤養一が就いた〔「新会社が発足、西友支援下のエンドーチェーン 再建へ本格始動」『日本経済新聞』1991年3月27日〕。同年9月1日、エンドーチェーンが「エステートエンドー」に新会社のエステートエンドーが「エンドーチェーン」にそれぞれ商号を変更した〔『決断のときをかさねて : エンドーチェーン創業80周年記念誌 』P 134〕。 再建計画に沿って13店舗を閉店し、同時に西友のノウハウを取り入れマーチャンダイジングの強化、取引改善、物流システムの再構築に当たったほか、若手社員を西友に2年間にわたりトレーニーとして派遣する制度も実施された〔「リージョナル拠点企業列伝(宮城編)、「エンドーチェーン」(30店・350億円)――13店閉鎖後、西友方式導入で基盤再構築へ」『食品商業』1992年7月号〕。その後宮城県内では駅前に立地する店舗を中心に半数近い店舗が閉鎖され、福島県内は保原店1店のみ残り、岩手県からは完全撤退。食品スーパー専業へ転換した。これによって総合スーパーの店舗は西友に譲渡された〔東北地区夏期特集-エンドーチェーン、再建へ中期方針打ち出す(日本食糧新聞 1992年8月26日)〕〔東北地区食品流通特集 エンドーチェーン・永山竹敏代表取締役社長に聞く(日本食糧新聞 1994年7月6日)〕。 1991年11月、西友〔百貨店事業部→SEIBU事業部→大型店事業部運営、現在のLIVIN〕が基幹店であった仙台駅前店を賃借した上で「SEIYO(セイヨー)仙台店」として営業を開始した。これによって8階以上は閉鎖され、ファッション部門以外では、ゲームセンター、地下一階の食料品売場を残しを売り場を減床した。また、この名称変更の際、仙台駅前店の一室に保存されていたエンドーチェーンとしてのイベント・宣伝等の貴重な資料は、その大部分が散逸してしまった。なおSEIYOは、1997年9月19日にザ・モール長町が開業するため、西友がそちらの運営に傾注したいとの意向から〔『決断のときをかさねて : エンドーチェーン創業80周年記念誌 』P 135〕、同年7月31日閉店。跡地には同年11月28日、エステートエンドーが運営するテナントビル「EBeanS(イービーンズ)」として衣替えて再オープンした。 1997年には、西友の資本参加を得てスーパー部門を「株式会社エンドーチェーン」(後の株式会社東北西友)として分離し、本体は仙台駅前店のビルを管理する不動産部門となり「株式会社エステートエンドー」と社名変更した。 2001年(平成13年)6月1日に株式会社エンドーチェーンは株式会社東北西友に社名変更し、同年4月25日に開店した宮城野原店で店名も全店西友へ統一された〔エンドーチェーン、東北西友に社名変更(日本食糧新聞 2001年6月6日)〕。 2003年6月1日、「株式会社エステートエンドー」は「株式会社エンドーチェーン」に社名を戻した〔『決断のときをかさねて : エンドーチェーン創業80周年記念誌 』P 138〕。一方、東北西友の小型スーパーは「SEIYU」のままだったが、2008年7月1日、東北西友はエス・エス・ブイなど地域子会社5社と共に西友に吸収合併された〔「地域子会社5社、西友が吸収合併、経営効率化」『日経MJ』2008年5月28日〕。これによって元から西友本体運営であった仙台長町店・西友仙台泉店と区別するため、吸収される以前から「THE FOOD FACTORY」のロゴが併記されている。またEBeanSの屋上看板もお色直しされ、「EBeanS」の下に「エンドーチェーン」というロゴが設置され、9年ぶりに表記が復活し話題を呼んだ。 2006年4月29日には「一日限りの屋上開放」と題し、EBeanSとなってから初めて正式に屋上を開放。フリーマーケットを試行開催した。これが好評であったため同年9月17日、「復活エンドーチェーン 屋上フリマ」と銘打ち本格的にフリマを実施した〔『決断のときをかさねて : エンドーチェーン創業80周年記念誌 』P 134〕。さらに2008年8月16・17日および23・24日の4日間、“エンドー創業80周年記念”として「屋上復活祭」を開催。THE ポッシボー、ザブングルほかをゲストに長年放送していた『エンドーミュージックショーウィンドー』の復刻版を含むTBCラジオの公開生放送、縁日、キャラクターショーなどが行われた。このイベントをきっかけとして、夏期の間、屋上は連日開放されることとなり〔仙台駅前の商業ビル、17年ぶりに屋上開放-運営会社80周年で (仙台経済新聞 2008年8月20日)〕、その後も不定期にイベント等が開催される際などには開放されるようになった。また、この屋上開放の再開と前後して、EBeanSとしてもかつての「エンドーチェーン」の頃を思わせるような催事・イベント等を活発に行うようになっている。 2008年1月、「エンドーチェーン」は不動産賃貸業としての業績復調を背景に、西友に売却していた自社株約172万株 (16%) を買い戻し、西友との関係を解消。経営再建計画が完遂した〔『決断のときをかさねて : エンドーチェーン創業80周年記念誌 』P 143〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エンドーチェーン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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