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東口翔太 : ミニ英和和英辞書
東口翔太[ひがしぐち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東口 : [ひがしぐち]
 【名詞】 1. east entrance 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 

東口翔太 ( リダイレクト:勢翔太 ) : ウィキペディア日本語版
勢翔太[いきおい しょうた]

勢 翔太(いきおい しょうた、1986年10月11日 - )は、大阪府交野市出身で伊勢ノ海部屋所属の現役大相撲力士。本名は東口 翔太(とぐち しょうた)。身長194cm、体重169kg。血液型はB型。
得意手は右四つ、寄り。最高位は東小結(2016年1月場所)。好物は寿司、焼肉。特に寿司ネタの中でも貝類やイカ、ウニを好むという。〔公益財団法人日本相撲協会監修『ハッキヨイ!せきトリくん わくわく大相撲ガイド 寄り切り編』14pから15p〕
== 来歴 ==
祖母や近所の住民などの大人に囲まれて東口は幼少期を過ごしたといい、特に年配の人から可愛がられていた。自身が小学1年生の頃に両親が交野市内で「すし家の繁」を開業し〔『相撲』2012年5月号86ページから87ページ〕、接客などを見て学んだという。両親曰くこの頃から大人びていたといい、接客や店の手伝いなどを見よう見まねで行っていた。〔小学3年生の時に相撲未経験ながら地元のわんぱく相撲の大会に出場して優勝を果たしたことがきっかけで同学年で隣接の寝屋川市出身である澤井(現:豪栄道)の父親に勧誘され、澤井と共に交野市内にある相撲の古市道場に在籍。当時の東口は同世代と比べて体が大きいことで澤井の父は東口を澤井の稽古相手につもりで勧誘したといい、両親も小児ぜんそくの持病があった東口を相撲で鍛えるつもりで相撲をやらせたという。〔1日4時間の相撲の稽古を週4回行うことで途端に健康状態が良好化し、さらに放課後から稽古の時間がやって来るまでの1時間を野球などの外遊びに費やすほど元気になった。体を動かしっぱなしになったことで病院で「過労」と診断されたこともある。〔1996年わんぱく相撲全国大会の小学4年生の部では準優勝を果たした。小学5年生の頃に寿司屋の常連の紹介によって先代伊勢ノ海と出会った。〔、
中学卒業後は相撲を離れてフリーター生活を送り、兵庫県尼崎市内で1年間1人暮らしをしたこともある。その中で社会性を身に付けたたが結果としてやはり相撲をやりたいと考えるようになった。ところが実家を離れていた東口は自身の大相撲入りを期待していた祖母の死に目に会うことができなかった。そんなところ、先代伊勢ノ海が祖母の葬儀に出席してくれたと聞いて入門を志願。〔18歳の時に伊勢ノ海部屋に入門、2005年3月場所で初土俵を踏み、翌5月場所から「勢」という四股名を名乗った。〔3月場所中のある日、読んでいた新聞から適当に一文字選んでそれを四股名にしたという。〕〔明治時代中期の幕内力士だった、勢イ力八とは何ら関係がない。〕2006年5月場所には早くも幕下に昇進して、その5月場所でも5勝2敗の好成績を挙げた。同年9月場所では初日から3連勝し、8日目に同じく3連勝の琴冠佑張り手を交えて勝利し4連勝で勝ち越しを決めたものの、取組後に琴冠佑から顔面を殴られ〔琴冠佑はこの事件により引退を表明した。〕、その後は3連敗と精彩を欠いた。2010年11月場所では自己最高位となる西幕下2枚目まで昇進したものの3勝4敗と負け越した。その後も幕下上位に在位し、東幕下3枚目の位置で迎えた2011年9月場所において5勝2敗の好成績を挙げ、翌11月場所に新十両へ昇進した。〔先代伊勢ノ海の停年直前場所後に新関取となったため、解釈によっては先代伊勢ノ海が育てた最後の子飼いの関取とも言える。〕漢字一文字の四股名を持つ力士としては、1997年11月場所新十両の以来、14年ぶりの関取となった。〔それから2年2か月後の2013年11月場所に関取昇進を果たしたが勢に続いて漢字一文字の四股名を持つ関取となった。〕
新十両となった2011年11月場所では、初日から8連勝で早々と勝ち越し、9日目に千代嵐の髷を掴んで反則負けを喫した以外は13日目まで白星を重ね、14日目の時点で初の十両優勝を決めた。新十両での優勝は2008年11月場所の翔天狼以来のこととなった。東十両3枚目まで大きく番付を上げた翌2012年1月場所でも7日目から8連勝して10勝5敗の好成績を挙げ、翌3月場所において新入幕を果たした。漢字一文字の四股名を持つ力士としては、1990年9月場所に新入幕を果たした以来、22年ぶりの幕内力士となった。その3月場所では3日目の若の里戦に両者合わせて10本の懸賞がかかるなど御当地力士としての人気ぶりを示したが、黒星を喫して若の里に懸賞を勝ち取られる結果となった。〔『相撲』2012年4月号24頁〕これも含めて初日から5連敗を喫するなどして5勝10敗と振るわず、翌5月場所に十両へ陥落した。翌7月場所に再入幕を果たしたものの、その7月場所でも7勝8敗と負け越して1場所で十両へ陥落した。翌9月場所では東十両筆頭の位置で11勝4敗の好成績を挙げて優勝決定戦まで進出したが、優勝決定戦では常幸龍に敗れて優勝は逃した。翌11月場所に3回目の入幕を果たし、9勝6敗の成績を挙げて幕内では自身初となる勝ち越しを決めた。2013年11月場所は11勝4敗の好成績を挙げ、幕内で初の二桁勝利を挙げるとともに、初の三賞となる敢闘賞を受賞した。翌2014年1月場所は西前頭2枚目で6勝9敗と負け越したが、大関・琴奨菊戦で初勝利。2014年5月場所は2日目から自身初となる9連勝を記録し、11勝4敗の好成績を挙げ、2度目の敢闘賞を受賞した。翌7月場所は豪栄道と栃煌山が関脇を維持した上に安美錦と碧山が小結の地位を得た影響で新三役を逃したが東前頭筆頭に据えられて最高位を半枚更新する。西前頭5枚目の地位で迎えた9月場所は新鋭の逸ノ城を破る活躍(詳細は後述)を見せた上で、10勝5敗の好成績を残した。〔支度部屋=大相撲秋場所千秋楽 時事ドットコム 2014/09/28-19:41〕翌11月場所は新三役(西小結)。大阪府からの新三役(小結)は、2008年11月場所の豪栄道以来戦後7人目。その11月場所では10日目に負け越しを確定させてしまったものの、11日目から4連勝するなど食い下がって場所を6勝9敗で終えた。2015年1月場所は中日の遠藤戦を除いて白星を全く得られず1勝14敗と大不振であったものの、翌3月場所は8勝7敗の勝ち越しにあずかり、続く5月場所は11日目に勝ち越し10勝5敗の好成績。9月場所、11月場所で連続して二桁勝利、敢闘賞を受賞。
2016年1月場所はおよそ1年ぶりの三役である東小結として迎えたが、横綱、大関陣相手に1勝5敗と力の差を見せつけられ、結局5勝10敗でまたも一場所で平幕に落ちることが確定した。3月場所は東前頭4枚目で迎えたが、初日から7連勝と好調を維持。そこから3連敗で優勝争いからは脱落したもののそこから白星を重ね、千秋楽で勝利すれば自身5度目の敢闘賞を獲得できるとみられたが琴勇輝に敗れ、10勝5敗の成績で敢闘賞は獲得できなかった。しかし3月場所は関取、小結力士が全員負け越したため、来場所では帰り三役となることが濃厚となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「勢翔太」の詳細全文を読む




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