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東園 基光(ひがしぞの もとみつ、1875年(明治8年)3月4日 - 1934年(昭和9年)2月26日〔『平成新修旧華族家系大成』下巻、388-389頁。〕)は、日本の内務・警察官僚、政治家、華族。官選富山県知事、貴族院子爵議員。 ==経歴== 東京府出身。侍従・宮中顧問官・子爵、東園基愛の長男として生まれる〔『新編日本の歴代知事』430頁。〕。学習院高等学科を経て、1903年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し大学院に進む。同年、文部省に入省し普通学務局属となる。1904年11月、文官高等試験行政科試験に合格した〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』185頁。〕。 1905年、内務省に転じ内務属となる。以後、岡山県事務官、静岡県事務官・第二部長〔『官報』第6925号、明治39年7月30日。〕、滋賀県事務官・警察部長、愛知県事務官・警察部長、茨城県内務部長、東京府内務部長などを歴任〔〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』52頁。〕。 1919年4月、富山県知事に就任。神通中学校・上市農学校の設立、氷見漁港の築港、県道指定、県営電気事業の実施などを推進した〔。1921年12月24日、知事を依願免本官となり退官した〔『官報』第2821号、大正10年12月26日。〕。 その後、実業界に転じ、濃飛電気 (株) 取締役社長、白山水力 (株) 取締役社長を務めた。また、1925年7月、貴族院子爵議員に選出され、研究会に属し死去するまで在任。その他、商工審議会委員、土木会議議員、学習院評議員会員などを務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東園基光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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