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東園 基敬(ひがしその もとゆき、文政3年10月23日(1820年11月28日) - 明治16年(1883年)5月24日)は幕末から明治時代にかけての公卿。従三位右中将。参議。安政勤王八十八廷臣の1人。父は東園基貞。母は芝山国豊の娘。娘の1人に水無瀬忠輔の妻である富子。その富子の娘は皇族の久邇宮多嘉王妻である静子。 == 略歴 == 文政5年(1822年)に叙爵。文政10年(1827年)に元服。以降累進して嘉永4年(1851年)には左近衛権少将となった。安政2年(1855年)の孝明天皇の行幸の際には舎人1人、随身2人、小舎人童1人、雑色2人を率いて供奉している。安政5年(1858年)には岩倉具視らとともに安政勤王八十八廷臣として行動し、朝廷に列参して日米修好通商条約への勅許に反対した。孝明天皇の支持も得て、幕府による条約勅許の画策を阻止した。しかしこの事が原因で同年に井伊直弼が発動した安政の大獄の際に連座した。その後明治維新が成り、明治元年(1868年)には従三位参議となった。さらに新政府では参与を務める。明治16年(1883年)薨去、享年64。 子の東園基愛が東園家を継ぎ、後に子爵位を授爵された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東園基敬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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