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東坊城和長 : ミニ英和和英辞書
東坊城和長[ひがしぼうじょう かずなが]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 

東坊城和長 : ウィキペディア日本語版
東坊城和長[ひがしぼうじょう かずなが]
東坊城 和長(ひがしぼうじょう かずなが、寛正元年(1460年)-享禄2年12月20日1530年1月19日)は、室町時代戦国時代公卿東坊城家東坊城長清の長子。子に東坊城長淳など。日記に『和長卿記』、著書に『内局柱礎鈔』・『桂林遺芳抄』・『元号字抄』・『明応凶事記』・『永正九年若宮御元服記』など。
== 経歴 ==
文明3年(1471年)1月4日、父・長清が滞在中の伊勢国六車荘で急死する〔『大乗院寺社雑事記』文明3年2月13日条〕。そのため、祖父の東坊城益長によって育てられるが、3年後に祖父も病死する。更に文明8年(1476年)11月13日の火災で邸宅に被害を受けるなど、若い頃は多難な境遇に置かれていた。だが、同族の西坊城顕長らの支援を受け、文明11年(1479年)には文章得業生となり、翌年1月までに典薬頭に任じられた〔『宣胤卿記』文明12年正月10日条によれば、同日に将軍足利義政への参賀に訪れた公家の中に典薬頭である和長の名前がある。〕。文明15年(1483年)3月6日に叙爵を受け、4日後に蔵人の功によって侍従補任された。文明18年(1486年)6月16日に少納言を兼ね、同年11月15日に従五位上に叙された。文明19年(1487年)に行われた改元の仗議の際に列席する必要がある文章博士が空席であることが問題になった。文章博士を出す家々に適任者がおらず、やむなく従五位上の和長が文章博士に任ぜられた〔平安時代に文章博士の官位相当は従五位下とされていたが、この時代には五位では文章博士には低すぎるとみなされていた。〕。その後、長享3年(1489年)に正五位下延徳4年(1492年)に従四位下明応4年(1495年)には従四位上に叙せられた。翌明応5年(1496年)の唐橋在数の殺害事件では、事件を起こした前関白九条政基の責任を厳しく追及する一方で、在数の死によって空席となった大内記の地位を手にした〔湯川敏治「戦国期における公家裁判の一例 -唐橋在数殺害事件顛末を中心に-」(初出:『史泉』69号(関西大学史学会、1989年3月))・改題「唐橋在数事件顛末」(所収:湯川『戦国期公家社会と荘園経済』(続群書類従完成会、2005年) ISBN 978-4-7971-0744-9 第3部第2章)) 〕。明応7年(1498年)に正四位下に叙せられるが、位記の作成は大内記の職務であったことから、自分で自身の位記を作成するという体験をしている。明応8年(1499年)には文章博士・大内記のまま大学頭を兼務し、明応10年(1500年)の改元では「文亀」の元号を勧進、その功績によって改元前日の2月18日に文章博士叙留のまま従三位に叙せられ、3月18日には参議に転じた。永正3年(1506年)10月13日に正三位に叙せられ、12月5日には高辻章長とともに侍読に任ぜられた〔当初は章長のみの任命であったが、その場合に菅原氏内部の官位の序列を乱してしまうことや師である和長の立場と功績が考慮され、同時の任命とされたという(伊藤、2012年、P122-123)。〕。永正4年(1507年)4月9日に権中納言に任じられ、永正6年(1509年)2月27日に大蔵卿を兼ねる。永正12年(1515年)8月10日に権中納言を辞任するが、同月25日にその功によって従二位に叙される。永正15年(1518年)12月10日に正二位に叙され、永正17年(1520年)1月18日に権大納言に任ぜられる。大永2年(1522年)9月6日に高辻長直の死によって氏長者(「北野の長者」)に任ぜられる。同年12月9日に権大納言を辞任する。享禄2年(1529年)12月20日に70歳で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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