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東坊城 徳長(ひがしぼうじょう よしなか、明治2年5月17日(1869年6月26日) - 大正11年(1922年)8月8日)は、日本の華族。御歌会奉行、貴族院議員を務める。官位は正三位勲三等子爵。大学頭東坊城任長の子。幼名は信丸。 明治17年8月8日に華族に列せられ子爵の爵位を授爵する。後に宮中に仕え、御製取調掛・掌典・明治天皇御製臨時編纂部員・御歌所参候・御歌会始奉行等を歴任する。明治44年(1911年)子爵議員として貴族院議員に就任、研究会に属す。東坊城家の先祖の菅原道真を祀る大田神社奉賛会である東風会会長を明治35年(1902年)より務めた。死後嫡男の政長が継いだ。 次女の敏子は大正期に貞明皇后付の女官として長年勤め、宮中でその美貌から禁廷に咲く白百合一輪、通称、白百合の局と呼ばれ、長田幹彦『小説天皇』のヒロインのモデルとなった。後に目黒雅叙園の創始者である細川力蔵に嫁いだ。俳優の東坊城恭長は三男、女優の入江たか子(本名:英子)は三女、入江若葉は外孫に当る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東坊城徳長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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