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東城 鉦太郎(とうじょう しょうたろう、1865年4月6日(元治2年3月11日〔官房日英博覧会出品に関する嘱託任命及英国へ派遣の件(陸軍省弐大日記 明治43年乾の上 貳大日記1月、明治43年1月17日) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C06084887900 自筆履歴書より〕) - 1929年(昭和4年)6月30日〔石渡幸二「海戦画家 東城鉦太郎を偲んで」上 海人社『世界の艦船』1996年1月号 No.505 p209〕)は、明治から昭和にかけての日本の画家で、主に戦争画を得意としていた。日露戦争での日本海海戦の様子を描いた連作が特に有名(三笠艦橋の図についても本項で述べる)。 == 略歴 == * 江戸(東京府北豊島郡高田村雑司が谷、現在の東京都豊島区)に生まれ。 * 1882年(明治15年) - 大蔵省印刷局に勤務し、お雇いイタリア人絵師エドアルド・キヨソネおよび川村清雄に師事。 * 1887年(明治20年) - 東京府工芸品同進会に出品し、褒状を受ける。 * 1889年(明治22年) - 明治美術会展に出品する。後に同会会員となる。 * 1902年(明治35年) - 明治美術会解散後、師の川村清雄に二代目五姓田芳柳らを加えた巴会の結成に参加する。以後、毎年展覧会に出品した。 * 1906年(明治39年)2月 - 海軍省の命に依り、日露戦争海戦画を絵製。 * 1910年(明治43年) - 日英博覧会開催を機に渡英している。 * 1929年(昭和4年) - 千葉県の房州で歿、享年64歲。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東城鉦太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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