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東宝チャンピオンまつり(とうほうチャンピオンまつり) は、東宝が1969年(昭和44年)から1978年(昭和53年)にかけて行った映画興行の名称。主に子供向け映画を数本まとめて春休み、夏休み、冬休みの時期にあわせて劇場公開した。 == 概要 == 編成はメインとなるゴジラ映画(旧作や改題作品を含む)に、連続テレビ作品の放送済みの1エピソードを数本加えた形式が多かった。テレビアニメ作品は東京ムービーやタツノコプロ製作の作品が多い。また、まれにスポーツ映画やアイドル映画が上映されることもあった。そもそもの発想は、東宝プロデューサーの田中友幸が「低予算であってもとにかくゴジラ映画を残したい」との一念で企画したものだった。 1969年(昭和44年)当時、映画会社東宝は「邦画の斜陽」を受け、深刻な興行不振に陥っていた。一方、ライバル会社の東映ではこの時期、『東映まんがパレード』を『東映まんがまつり』と改題し、自社制作の中編アニメ映画と自他社制作のテレビアニメ映画を組み合わせ、春・夏・冬休みの子供向け興行の目玉として好評を博していた。 これに着目した東宝は、東映の「まんがまつり」の形式で自社の看板である「怪獣映画」をプログラム興行できないかと検討する。この際の東宝企画部で起こされた企画書では、「『東映まんがまつり』が、長編アニメと短編アニメを一緒に上映して好評を博している。そこで東宝も、従来の怪獣映画を短く編集してアニメーションと同時公開してはどうか」と記されており、「怪獣のチャンピオンであるゴジラ、男の子向けアニメのチャンピオンである『巨人の星』、女の子向けアニメのチャンピオンである『アタックNo.1』を一緒に東宝で公開する」というコンセプトから、このプログラムは『東宝チャンピオンまつり』と名付けられ、当時ブームとなっていたスポ根物アニメを主幹とした構成とし、この年の冬休み興行として新作映画『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』に、これも新作の特撮映画『コント55号 宇宙大冒険』、テレビアニメ『巨人の星』を加えて公開されるに至った。また、「チャンピオンまつり」の名称には、文字通りゴジラと他の怪獣達が「チャンピオン決定戦」を映画で繰り広げる、という意味合いが含まれている。 1976年にはディズニー映画も登場したが、この時は特撮作品が1本も無い唯一のプログラムだった。「東宝チャンピオンまつり」は1978年の上映をもって終了するが、2年のブランクを経て1980年3月に『モスラ対ゴジラ』とテレビで人気だったアニメ『ドラえもん』の新作長編『ドラえもん のび太の恐竜』の2本立てを公開した。これが当たったため、「東宝チャンピオンまつり」の流れは毎年3月に公開される『ドラえもん』の劇場長編版と藤子不二雄作品の組み合わせへ引き継がれていった〔「スクリーンにかかったテレビアニメーション 東宝チャンピオンまつり」『キネ旬ムック 動画王 Vol.7』キネマ旬報社、1998年、p131〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東宝チャンピオンまつり」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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