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東寺長者(とうじちょうじゃ)は、東寺(教王護国寺)の管理者・長官である僧侶の呼称。真言宗の最高位としての権威を兼ね備えた。正式には単に長者(ちょうじゃ)と呼ばれているが、氏長者と紛らわしいために「東寺長者」と呼ばれることが多い。初代長者は空海。 == 概要 == 真言宗を開いた空海の御遺告(ごゆいごう、遺言)に従って承和3年(836年)に実恵が任命されたのが最初である。ただし、今日において真言宗及び東寺では、空海をもって初代東寺別当としている。これは弘仁14年1月19日(823年3月5日)に嵯峨天皇が空海に建設中の東寺を与えてその造寺司別当(建設責任者)である「造東寺所別当」に任命したことに由来する。もっとも、東寺長者の役割を空海が遺した東寺を維持・管理・整備する責任者であると考えるならば、造東寺所別当を東寺長者の前身とみなして最初に東寺を整備した空海を初代と考えることも決して誤りではないと言える。 以後、長者は真言宗の僧侶から選ばれ、後には仁和寺・大覚寺・勧修寺・醍醐寺(三宝院)の4寺の中から門跡の貴種が勅任される慣習が成立した。また、延喜19年(919年)には観賢が東寺との対抗上、東寺長者とその権威を認めてこなかった同じ空海由来の金剛峯寺座主(別当)を兼ねたことでその権威は大いに高まった。その後、御七日御修法の大阿闍梨の役目を務めるなど、宗派の代表としての役割を強化していった。 その定員は初めは1名であったが、承和10年(843年)に2名、寛平7年(895年)には3名、安和2年(969年)には4名に増員された。そのうち最上位の長者は一長者あるいは一阿闍梨とも呼ばれて東寺の貫主(住職)として「寺務」を名乗り、貞観14年(872年)には僧綱の責任者である「法務」も兼ねる慣習が成立した。なお、勅任制度は明治維新によって廃止されたが、現在でも真言宗の最高指導者として人々からの崇敬を集めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東寺長者」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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