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陳 建民(ちん けんみん、男性、1919年6月27日 - 1990年5月12日)は、中国四川省自貢市富順県李橋鎮生まれの四川料理の料理人。日本における四川料理の父といわれた。 中国系日本人1世で、来日後に日本に帰化しており日本名は東 建民(あずま けんみん)といった。息子の陳建一、孫の陳建太郎も料理人である。 == 来歴・人物 == 原籍は四川省富順県。農家の10人兄弟の末子として同省宜賓市で生まれ〔料理の鉄人(フジテレビ) 1996年北京決戦中国四大料理対決〕、同地の京川飯店などで料理を修業した。 1947年に宜賓を離れて重慶、武漢、南京、上海などの大都市のレストランを渡り歩き、1948年には台北、高雄へ渡った。後に香港の川菜餐館に勤めた。 1952年(昭和27年)に黄昌泉と共に観光ビザで来日、同じく四川省出身の陳海倫(戦前に上海で高級ホステスをしていたという)の食客(居候)となり、次にまるみや果物店の宮田清一の食客となった。1953年(昭和28年)春に陳海倫の依頼で外務次官の奥村勝蔵に宴席料理を供したのが縁で、外務省に外売(出張料理)を始める。 『東文基園』(通称「ゲストハウス」)で高級料理を出しパーティを開き、日本人の妻の洋子さんと結婚。1956年(昭和31年)、長男の建一(後年フジテレビ『料理の鉄人』で知られる)が誕生した。 1958年(昭和33年)、台湾出身の龍智議が新橋田村町に四川飯店を開業し、建民も厨房に入る。後に建民が六本木、赤坂へ出店した。 建民は元来は宮廷料理を得意としたが、庶民的な料理もまた四川以外の料理も適宜日本人(好みや当時の台所事情)にあわせアレンジを加えた上で供し、評判となる。 四川飯店経営の傍ら、NHKの『きょうの料理』などの料理番組に出演した。乾焼蝦仁をヒントに考案したエビのチリソース、回鍋肉、担担麺、そして和風麻婆豆腐(醤油・胡椒が味付けのベース)などのレシピを公開し、独特の言葉遣い(協和語に似る)と共に注目を集める。 元来、中華料理の世界は徒弟制で下働きをしながら盗み見て覚える(偸精学芸)ものであったが、建民はレシピの公開もやぶさかでなく1966年(昭和41年)には有志と恵比寿中国料理学院を設立するなど、中国料理の普及に大きく貢献した。1987年(昭和62年)に卓越技能表賞(現代の名工)を受賞した。 1990年(平成2年)、70歳で没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「陳建民」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chen Kenmin 」があります。 スポンサード リンク
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