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東文章・こま代(あずまぶんしょう・こまよ)は、戦後に活躍した夫婦漫才コンビ。都家文雄・静代門下。1955年結成。 映画の内容や役者に槍玉し難癖付ける「ぼやき漫才」で同じ歌謡曲にぼやいた人生幸朗・生恵幸子ほど人気を得られなかったが、昭和30年代から40年代にかけて千日劇場を中心に活動。人生幸朗・生恵幸子の押しのぼやきに対してぼそっと放つ嘆きに近いぼやきで味のある芸であった。主に映画のぼやきを中心に行った。 == メンバー == *東文章(1905年 - 1980年代)立ち位置は向かって左。 :本名:大島実。1931年新世界で初舞台。当時の芸名は都家文昭。 :元は「東文章・藤野団楽」(漫才の台本には文章と段落が大事の洒落)。藤野団楽は後の落語家の3代目桂米紫。それ以前にも柳柳笑(後の柳エンド)ら何度かコンビを組んでいる。こま代が病気で出られないときに何度かかしまし娘の正司歌江と組んだこともあった。 :1966年には2、3ヶ月ほど華悦子(後のトリオショウのフラワーショウの華ゆり)とコンビを組んだ。 :1980年代は病気で静養していた。その後暫くして没した。 :おかっぱに丸メガネにスーツに蝶ネクタイ姿。(年取ってからは髪の毛が薄くなりおかっぱをやめていた) *東こま代(1910年 - 1977年)立ち位置は向かって右。 :本名:大島ハナ。千葉県の生まれ、元民謡歌手で水野春海レビュー団に属し、1952年広島で初舞台。レビュー団解散後、京都富貴で前座修行。そこで見た文雄・静代の芸に感銘し弟子入り。萩乃こま代を名乗ったこともあった。 :着物姿。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東文章・こま代」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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