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東方テンプル騎士団 : ミニ英和和英辞書
東方テンプル騎士団[ひがしがた, とうほう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東方 : [ひがしがた, とうほう]
 【名詞】 1. (1) eastern direction 2. (2) the Orient
: [ほう]
  1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way 
テン : [てん]
 【名詞】 1. 10 2. ten 3. (P), (n) 10/ten
騎士 : [きし]
 【名詞】 1. knight 
: [だん]
 【名詞】 1. body 2. group 3. party 4. company 5. troupe

東方テンプル騎士団 ( リダイレクト:東方聖堂騎士団 ) : ウィキペディア日本語版
東方聖堂騎士団[とうほうせいどうきしだん]
東方聖堂騎士団(とうほうせいどうきしだん、、 略称 O.T.O.、直訳は東洋神殿修道会)は、東洋のテンプル騎士団または東方の神殿の修道会という意味のラテン語を名称とする、20世紀初めに創設された国際的な友愛結社にして宗教団体である。当初はフリーメイソンを模倣したメイソン関連団体として設立されたものであるが、アレイスター・クロウリーの指導下で、「セレマの法」を中心的な宗教原理とする団体として再編された。1904年の『法の書』受信に端を発する「セレマの法」は、「汝の意志するところを行え、それが法の全てとなろう」〔アレイスター・クロウリー 『法の書』I:40〕と「愛は法なり、意志の下の愛こそが」〔アレイスター・クロウリー 『法の書』I:57〕の二文に集約される。多くの秘密結社と同様、OTOの会員制は演劇的儀式を用いた一連の位階儀礼による秘儀参入体系に基づいており、団員の結束を深め、精神的および哲学的な教えを伝授することを目的としている。
OTOには団の教会部門であるグノーシス・カトリック教会(、略称EGC)も含まれている。その中心的儀式は ''Liber XV'' (『15の書』)またはグノーシス・ミサ(The Gnostic Mass)と呼ばれ、一般にも公開される。
21世紀の現在、OTOと称する団体は複数存在する。本記事では1970年代のカルフォルニアで活動を開始した、国際OTOをもって自任するいわゆるカリフ派OTO(the Caliphate O.T.O.)を中心に記述する〔一部の国ではOTOの名称がカリフ派OTOのものと裁判で認められ、それ以外のOTO系団体はOTOの名称を使用できなくなった。その意味においては、ここでいうカリフ派OTO、タイフォニアンOTO、ソサエティOTOといった呼称は正式名称ではなく俗称である。〕。
==歴史==

===起源===
OTOの初期の歴史を確実に辿るのは困難であるが、1895年から1906年の間にドイツかオーストリアで創始もしくは企図された〔:en:Nicholas Goodrick-Clarke, :en:The Occult Roots of Nazism, p. 61. Goodrick-Clarke は当時のオカルティズムを概説する際にこの話題に触れている。〕。公式的には、オーストリアの有力な化学者であり実業家であったカール・ケルナー(Karl Kellner, 1851-1905)が創始したことになっており、彼はOTOの精神的父と呼ばれる。もっとも、1904年以前の団については何も情報がない〔King, Francis. ''The Magical World of Aleister Crowley'', pp. 78-81〕。ケルナーが1895年にロイスに会い、アカデミア・マソニカ(メイソン大学)の構想を語ったことがOTOの発端とされている。ただしケルナー自身が東方聖堂騎士団のような名称を最初に用いたという証拠はなく、対外的には1906年のテオドール・ロイスの私家出版物「オリフラム」誌上に「東方聖堂騎士」(der Orientalischen Templer)という言葉が初めて登場した。
テオドール・ロイス 〔英名セオドア・ルース〕(Theodor Reuss, 1855-1923) は、ケルナーと共同でOTOを創設し、ケルナーの死後、OTOの首領となったとされる。これに先立つ1902年、ロイスは神智学者フランツ・ハルトマンFranz Hartmann)とハインリヒ・クラインと連名で、ジョン・ヤーカーからフリーメイソンの「メンフィス&ミツライム古代原初儀礼」のドイツ・ロッジを運営する権利を購入した。メンフィス=ミツライム儀礼は非正規のメイソンリー儀礼だとされているものではあるが、古式公認スコティッシュ儀礼、スウェーデンボルグ儀礼と共にこれらは新たに結成された団の中核となった。ベルリン時代のルドルフ・シュタイナーはロイスと接触し、1906年にメンフィス・ミツライムの Mysteria Aeterna のグランド・マスターとなった。ロイスはこの他に、レオポルド・エンゲルが復興しようとしたイルミナティ団、フランスのジェラール・アンコースのマルティニスト団、グノーシス・カトリック教会といった団体に関わったり、いくつもの擬似メイソン的位階組織や複数の結社名をこしらえていた。OTOの歴史を研究したペーター・R・ケーニヒの推測によれば、少なくともヤーカーが亡くなる1913年まではメンフィス=ミツライムなどのロイスの諸結社とOTOは別個のものであったが、遅くとも1917年にはOTOはこれらを吸収・統合したものとして成立していた。
ロイスは英国のアレイスター・クロウリー、アメリカ合衆国のH・スペンサー・ルイス〔H・スペンサー・ルイスは1921年にロイスからOTO設立の認可状を受け取ったが、1925年に彼が設立した団体は「古代神秘=薔薇十字教団」(AMORC、日本法人の名称は「バラ十字会」)であった。〕、デンマークのカール・ウィリアム・ハンセンといった各国の秘教主義者やオカルティストと連携を図り、彼らに高位階やOTO支部開設の認可状を授与することによってOTOを国際的な友愛団として組織しようとした。他にロイスから高位階を授与されてOTOのグランドマスターとなった人物には、アルノルド・クルム=ヘラー〔ブラジルの古代薔薇十字団(FRA)を結成したドイツのオカルティスト。ラテンアメリカにおけるテオドール・ロイスの代理人に任命される。〕、ハインリヒ・トレンカー〔出版活動を主とするパンソフィアという秘教団体を主宰したドイツのOTOグランドマスター。一時期クロウリーと連携したが、後にはOTOのOHOをもって自ら任じ、AMORCのH・スペンサー・ルイスと提携した。〕、チャールズ・スタンスフェルド・ジョーンズ〔マジカル・モットー「フラター・エイカド」で知られるクロウリーの弟子。バンクーバーにアガペー・ロッジを開設した。〕が挙げられる。こうしてロイスの下で、フランス〔アメリカのオカルティスト、ミシェル・ベルティオーの古代東方聖堂騎士団の主張する歴史によれば、1916年にジェラール・アンコースが亡くなると、彼のフランスOTOはジョアニー・ブリコーのOTOとリュシアン=フランソワ・ジャン=メーヌのOTOに分かれ、後者はハイチに移住して1921年に古代東方聖堂騎士団(Ordo Templi Orientis Antiqua)を創設した。〕、デンマークスイスアメリカ合衆国オーストリアオカルト諸団体にOTO支部の設立認可が与えられた。ロイス自身は1917年にスイスのモンテ・ヴェリタにOTOロッジ Veritas Mystica Maxima を開設した。9位階あり、第六までの位階はメイソン的位階であった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東方聖堂騎士団」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Ordo Templi Orientis 」があります。




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