|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 東 : [ひがし] 【名詞】 1. east ・ 日 : [にち, ひ] 1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day ・ 日本 : [にっぽん, にほん] 【名詞】 1. Japan ・ 本 : [ほん, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 何 : [なん] 1. (int,n) what ・ 何で : [なんで] 1. (adv) Why? 2. What for? ・ 何でも : [なんでも] 1. (adv,exp) by all means 2. everything ・ 会 : [かい] 1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club
東ケト会(とうけとかい)は、「東日本何でもケトばす会」の略。作家、椎名誠が主催した野外キャンプ会。あやしい探検隊とも称する。探検隊と銘打っているが、特に探検はしない。 ==会の概要== 日本の離島やキャンプ地にテントで宿泊し焚き火宴会を行うことを主たる活動とする、椎名誠を中心とした私的なサークルの名称である。発足は1963〜1965年頃で、1968年に、第一回遠征・琵琶湖合宿を行った。月刊「おれの足」を中央理論誌としている。 椎名誠の著作『わしらは怪しい探検隊』シリーズにその求道的でないユニークな活動内容が紹介され、全国に模倣、類似サークルが発足した。 主要なメンバーに、椎名誠、イラストレーターの沢野ひとし、本の雑誌社社長の目黒考二、弁護士の木村晋介がいる。 メンバーは同時に、椎名誠の初期映画「神島でいかにして飯を喰ったか…」(1974年)、「三人で夕やけを見にいった」(1976年)等の撮影を行う際のスタッフ、登場人物でもあった。 必要な物品や食料は必ず出発地から運送、参加者は男性のみ、「ドレイ」と呼ばれる下働き員の存在を特徴とする。初期は、沢田康彦(のち編集者)、上原ゼンジ(のち、本の雑誌社社員)米藤俊明(のち、サラリーマン)らがドレイメンバーであった。ドレイには集合場所までどこに行くか知らされず、何を持っていったら良いかすら判らない状態で準備をしなければならなかった〔沢田康彦によると、行き先を尋ねたところで「椎名隊長は大雑把な方角しか言わず、沢野は嘘をつき、目黒は読書と競馬にうつつを抜かし要領を得ず、依田は『それ知ってどうするんだ、遠かったら荷物を置いて行くって言うのか』と絡んでくる」といった具合だという。〕。 八丈島に「東ケト丸」という船を共同保有していたが、台風の影響で流されてしまった。 後年、参加者の高齢化や社会人としての制約から自由な活動ができなくなったことを原因として、「第二次あやしい探検隊」として、椎名誠、写真家の中村征夫、カヌーイストの野田知佑、辺境写真家の佐藤秀明、山岳写真家の岡田昇、冒険家の風間深志、ローリー・イネステーラー、越谷英雄 といったキャンプの専門家を中心とした「いやはや隊」に発展的解消。その後、1990年代には椎名が映画制作に熱中して、活動はほぼ行われなくなっていた。 2000年代に入った現在、釣りジャーナリストの齋藤海仁らをメンバーとした「第三次あやしい探検隊」として「わしらは怪しい雑魚釣り隊」として活動している。 2015.10.18に怪しい雑魚釣り隊10周年イベントが新宿三丁目で行われる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東ケト会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|