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東映Vシネマ(とうえいブイシネマ)は東映ビデオ株式会社が1989年より制作・発売を開始した、劇場公開を前提としないレンタルビデオ専用の映画の総称〔#Vシネ伝説〕〔Vシネマ誕生から25年 その歴史と扱われやすいテーマを解説 〕。「V CINEMA(ブイシネマ)」は、東映ビデオ株式会社の登録商標である(登録番号 第2361224号)〔。 == 概要 == Vシネマは当初、世良公則、名高達男、神田正輝、草刈正雄、大杉漣等のベテラン、香川照之、仲村トオル等の新進といった有名な俳優を起用したハードボイルドタッチの作品が数多く制作されたが、哀川翔が主演した『ネオチンピラ・鉄砲玉ぴゅ~』シリーズのヒットにより、次第に東映のお家芸である極道物やギャンブル物が主流となっていった〔東映Vシネマ誕生25周年!カオスの歴史に埋もれた傑作・怪作Vシネマを発掘! 『90年代狂い咲きVシネマ地獄』 〕。 また、大御所の名優が特別出演をしているのも特徴である。西城秀樹主演の作品には丹波哲郎が出演(老刑事役で特別出演)、安藤昇(安藤が原作の作品もある)や東映Vシネマ2周年記念作品『ビッグボス BIG BOSS』と5億円の総製作費をかけた東映Vアメリカ作品『復習は俺がやる DISTANT JUSTICE』には菅原文太が主演。(菅原は他の東映Vシネマにも特別出演をしている)また北島三郎も重みのあるやくざの親分役で2作品で特別出演している。往年のスター萩原健一も、1作品だけだが主演している。創成期の製作費は基本が6000万円で〔#シナリオ、pp.5-8「東映ヘッドプロデューサー吉田達氏に聞く 映画ともTVともちがうものを...」〕、うち宣伝費が20%であった。キャスティングに強烈なスターが出て、売れる見通しがあればもっと多かった。これは当時の東映の単館ロードショー作品と同程度の制作費であった〔。 これは、Vシネマ開始当初は邦画不況時代であり、作品を劇場配給網に乗せる予算を制作費につぎ込むことにより作品のクオリティを維持しつつ制作を継続するという苦肉の策から生じたものであると言われていると同時に、当時、実質的に経営破綻状態にあった日活の製作スタッフに救いの手を差し伸べるという側面もあった。この試みは功を奏し、作品自体で収益を得ることに成功したのみならず、邦画黄金期のプログラムピクチャーと同じく、監督・スタッフ・俳優など現在に至る人材が量産体制の中で鍛えられ成長し、現在の映画・テレビ業界を背負う人材が多数輩出された〔寺島進インタビュー「Vシネは俺にとって一筋の光明だった」 〕。無名時代の遠藤憲一、豊川悦司、北村一輝、谷原章介、押尾学らの出演作もある〔。 東映Vシネマが先鞭をつけ新しい映像作品としての地位を確立したことで、にっかつ、東北新社、バンダイ、ポニーキャニオン、東和、ジャパンホームビデオ、大映、松竹その他映画会社、ソフトメーカーが製作を開始、追随した〔〔〔#シナリオ、pp.14-15「『オリジナル・ビデオ』に関する作家協会の立場 ー鴨井達比古(日本シナリオ協会理事)」〕。しかし、いつしかすべてのオリジナルビデオ映画が、先駆けとなった「Vシネマ」の呼称で認知されるようになった〔〔〔Vシネマ 咲き乱れ25年2014年10月26日 朝刊 〕〔#Vシネマ地獄、p.17〕。 当初、Vシネマのターゲットは男と決められていた〔。これは当時ビデオショップに来る女性も増えてはいたが、まだ圧倒的に男が多かったことによる。ターゲットは15、6歳から32、3歳くらいまでの男性客を対象とし、センターを20歳としている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東映Vシネマ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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