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東条冬重 : ミニ英和和英辞書
東条冬重[とうじょう ふゆしげ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [ふゆ]
  1. (n-adv,n-t) winter 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

東条冬重 : ウィキペディア日本語版
東条冬重[とうじょう ふゆしげ]

東条 冬重、(とうじょう ふゆしげ)は、江戸時代前期の武士。江戸幕府旗本
== 生涯 ==
高家旗本吉良義冬の五男として誕生。三兄の東条義孝の養子となり、元禄元年(1688年)7月12日、義孝の家督(切米300俵)を継いで小普請に列した。元禄10年(1697年)3月18日には書院番士となった。
元禄14年(1701年)3月14日に長兄の吉良義央赤穂藩浅野長矩に殿中刃傷を受け、浅野長矩は即日切腹となる。世間の赤穂びいきの空気を受けて幕府は、義央を隠居させ、さらに8月21日には大目付庄田安利(長矩を庭先で切腹させた人物)・高家肝煎の大友義孝(義央腹心の部下)・そして義央の弟であるこの冬重を呼び出して、全員に対して「勤めがよくない」として解任を申し渡した。
『寛政重修諸家譜』は、「つとめにかなはざることあるにより、小普請に貶さる」と記す。役職への復帰もかなわなかったらしく、その後についても「某年死す」としか記されていない。子も養子もなく、義孝流東条家は絶えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東条冬重」の詳細全文を読む




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