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東條 満喜枝(とうじょう まきえ、1923年(大正12年) - 2000年(平成12年)5月)は、東條英機の次女で家事調停委員。初婚の際に古賀満喜枝、再婚の際に田村満喜枝と姓が変わった。 ==生涯== 東京府で、東條英機陸軍少佐(当時の役職は陸軍大学校兵学教官兼参謀本部部員兼陸軍歩兵学校研究部部員)とその妻かつ子の次女として生まれた。 兄弟は、長兄に英隆、次兄に輝雄、姉に光枝、弟は敏夫、妹は幸枝、君枝がいる。2人の兄とは年が離れていたが、弟と妹とは年齢が近かったこともあり仲が良かった。 1943年(昭和18年)、当時陸軍大学校本科学生(第58期)だった古賀秀正陸軍大尉(のち少佐)と結婚し、息子を1人もうけている。古賀は1945年(昭和20年)8月15日に発生した宮城事件で自決した。 その後、後に東洋大学名誉教授となる田村健二と再婚。 1952年(昭和27年)日本社会事業大学卒業、東京家庭裁判所調停委員、参与員を歴任し、マリッジ・カウンセリングに従事。児童心理学・社会学面での夫との共同研究には意欲的で、共著が多数ある。また、家事調停の専門家として、メディアにも出演している〔例えばニッポン放送が1967年(昭和42年)9月29日に放送したラジオ番組ザ・パンチジャーナル第71回にゲスト出演している。〕。 長兄・英隆の子であり満喜枝にとっては姪にあたる東條由布子らのように、家族の立場から父・英機を擁護しているが、由布子ほど英機の子としての活動はない。 実家で保管されている英機の遺品の革鞄、名刺、軍服などの保存にも関係していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東條満喜枝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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