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東松山橋(ひがしまつやまばし)は、埼玉県東松山市にある都幾川の橋である。1963年(昭和38年)8月〔東松山橋1963-8 - 土木学会附属土木図書館〕に当時の埼玉県道熊谷入間線の橋として建設されたものである。 == 概要 == 橋長272m、幅員8.25mのPC単純桁橋である。 この橋の場所は明治時代まで千人同心街道(日光脇往還)の「高坂の渡し」として渡し船が運航されていたが、明治時代に現在の東松山橋のやや下流に沈下橋の押垂橋が建設された。この橋のあった場所は、都幾川の流路整備工事によりグラウンドになっており、遺構は残っていない。 戦後の高度成長期になると自動車の交通量が増大し、大型車が通行できず大雨のたびに通行不能となる押垂橋は不便であった。このため、上流にある埼玉県道344号高坂上唐子線の唐子橋に迂回するルートが主に使われていたが、遠回りになることからそれに変わって新しく橋を建設することになったのが東松山橋である。この橋は、昭和30年代に建設された一般的なコンクリート橋のデザインであったが、2005年に欄干交換工事が行われ、欄干だけは近代的になった。 また、歩道が併設されていなかったことから後年、上流側に鋼鉄製の歩道専用橋が建設された。 埼玉県道熊谷入間線は、1982年に国道407号に指定され東松山橋は国道の橋となるが、2007年に国道407号東松山バイパスの新東松山橋が開通すると、東松山橋は国道指定解除され東松山市道となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東松山橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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