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東横映画京都撮影所 : ミニ英和和英辞書
東横映画京都撮影所[とうよこえいが]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [よこ]
 【名詞】 1. beside 2. side 3. width 
映画 : [えいが]
 【名詞】 1. movie 2. film 
: [かく, が]
 【名詞】 1. stroke 
: [みやこ, きょう, けい]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis
京都 : [きょうと]
 【名詞】 1. Kyoto 
: [みやこ]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis 
撮影 : [さつえい]
  1. (n,vs) photographing 
撮影所 : [さつえいじょ]
 (n) film studio
: [かげ]
 【名詞】 1. shade 2. shadow 3. other side 
: [ところ, どころ]
 (suf) place

東横映画京都撮影所 ( リダイレクト:東横映画 ) : ウィキペディア日本語版
東横映画[とうよこえいが]

東横映畫株式會社(とうよこえいが、1938年6月8日 設立 - 1951年3月31日 合併)は、のかつて存在した日本の映画会社である。東急資本のもとに映画館経営から出発し、第二次世界大戦後に旧満洲映画協会(満映)のメンバーを中心にして、京都太秦の「大映第二撮影所」で劇映画を製作した。東映の前身の1社である。
== 略歴・概要 ==
1938年(昭和13年)6月8日、東京横浜電鉄(のちの東京急行電鉄)の興行子会社として設立。社長は同電鉄の五島慶太、資本金は30万円。設立に先立つ同年3月、渋谷に開場した「東横ニュース劇場」、同年11月に開場した「五反田東横劇場」を経営。1943年(昭和18年)、昭和興業、新宿興業、京浜興業を合併して資本金を50万円に増資、劇場を7館に増やす。
1944年(昭和19年)3月、五島に代り浦川睦臣が社長に就任、翌1945年(昭和20年)、空襲などで全劇場を喪失。同年8月15日の終戦を経て、同年12月、十条に映画館をオープン、明けて1946年(昭和21年)1月1日、渋谷の東横百貨店内大映作品と松竹作品を公開する映画館3スクリーンのほかに、3つの劇場をオープンする。同年2月、東急本社の黒川渉三専務が兼務で社長に就任。同年内に五反田東横映画劇場を再建、新宿に映画館を開き、「多摩川園」を吸収合併し、資本金を300万円に増資。同年11月、同社の定款に映画の製作・配給を加え、大映との提携を進めた。
1947年(昭和22年)、大映との協定を結び、「大映第二撮影所」を借りて製作する準備が始まる。同年9月、資本金を2,000万円に増資、同撮影所を「東横映画京都撮影所」とし、旧満映のメンバーを中心に製作を開始。設立第1作は稲垣浩監督、上原謙轟夕起子主演による『こころ月の如く』で、同年9月16日に大映の配給により公開する〔1947年 公開作品一覧 109作品 日本映画データベース、2012年7月18日閲覧。〕。
1949年(昭和24年)5月、資本金を5,000万円に増資、同年9月、黒川に代り比嘉良篤が社長に就任。同年10月1日、映画配給会社「東京映画配給」を設立、従来の大映から配給を移管。移管後の第1作は松田定次監督、片岡千恵蔵主演による『獄門島』で、同年11月20日から公開された 〔1949年 公開作品一覧 171作品 、日本映画データベース、2012年7月18日閲覧。〕。同年12月、比嘉に代り鈴木幸七が社長に就任した。
1951年(昭和26年)4月1日、東横映画、太泉映画、東京映画配給の3社が合併して「東映」となる。東横映画撮影所は「東映京都撮影所」に、太泉映画スタジオは「東映東京撮影所」になり、東京映画配給の配給・興行の機構は、本社および支社、直営館として東映を構成した。
同社は、製作会社としては、1947年3本〔、1948年10本〔1948年 公開作品一覧 134作品 、日本映画データベース、2012年7月18日閲覧。〕、1949年12本〔、1950年26本〔1950年 公開作品一覧 234作品 、日本映画データベース、2012年7月18日閲覧。〕、1951年6本〔1951年 公開作品一覧 216作品 、日本映画データベース、2012年7月18日閲覧。〕、合計57本を製作した。
2012年(平成24年)7月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターは、『のど自慢狂時代』(監督斎藤寅次郎、1949年)、『獄門島』(監督松田定次、1949年)、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』(監督関川秀雄、1950年)、『殺陣師段平』(監督マキノ正博、1950年)の4作のほか〔所蔵映画フィルム検索システム 東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年7月18日閲覧。〕、『三本指の男』(監督松田定次、1947年)〔三本指の男 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年7月18日閲覧。〕、『にっぽんGメン 第二話 難船﨑の血鬪』(監督松田定次、1950年)〔にっぽんGメン 第二話 難船﨑の血鬪 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年7月18日閲覧。〕、『乱れ星荒神山』 (監督萩原遼、1950年)〔乱れ星荒神山 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年7月18日閲覧。〕、『千石纏』(監督マキノ雅弘、1950年)〔千石纏 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年7月18日閲覧。〕、『女賊と判官』(監督マキノ雅弘・萩原遼、1951年)〔女賊と判官 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年7月18日閲覧。〕の5作の上映用プリントを新たに収蔵した。東映チャンネルは、上記のほか、『にっぽんGメン』(監督松田定次、1948年)〔にっぽんGメン 、東映チャンネル、2012年7月19日閲覧。〕、『旗本退屈男捕物控 七人の花嫁』(監督松田定次、1950年)〔旗本退屈男捕物控 七人の花嫁 、東映衛星放送、2012年7月19日閲覧。〕、『旗本退屈男捕物控 毒殺魔殿』(同)〔旗本退屈男捕物控 後篇 毒殺魔殿 、東映衛星放送、2012年7月19日閲覧。〕、および『レ・ミゼラブル あゝ無情 第一部 神と悪魔』(監督伊藤大輔、1950年)と 『レ・ミゼラブル あゝ無情 第二部 愛と自由の旗』(監督マキノ雅弘、1950年)を133分にまとめた「総集篇」〔レ・ミゼラブル あゝ無情 、東映衛星放送、2012年7月19日閲覧。〕を放映している。福岡市総合図書館が所蔵するものは、上記『殺陣師段平』のみである〔日本劇映画 福岡市総合図書館、2012年7月19日閲覧。〕。全57作中、13作のみ、現存が確認されているということである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東横映画」の詳細全文を読む




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