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東武デハ3形電車(とうぶデハ3がたでんしゃ)は、かつて東武鉄道に在籍した電車。1926年(大正15年)に新製されたホハ11形の後身で、当初は後述のホハ12形も含め、全車客車として竣功したものを、1927年(昭和2年)に電車化改造を実施したものである。 本項では本形式ならびに同年に新製された東武初の全鋼製車であるホハ12形、後のクハ2形が属する大正15年系全般について記述する。 == 概要 == 1926年(大正15年)当時の東武鉄道においては既に電化区間が存在し、大正13年系デハ1形・大正14年系デハ2形・クハ1形といった電車が運用されていた。しかし、当時の東武の保有路線における電化区間は伊勢崎線浅草(初代・現在のとうきょうスカイツリー) - 久喜間のみであったことから、旅客輸送の主力は相変わらず蒸気機関車牽引による客車列車であった。そのような状況を鑑み、本系列は将来的な電化進捗に際して電車化改造を施工する前提で設計された客車として、ホハ11形51 - 58およびホハ12形59・60の計10両が日本車輌製造東京支店・名古屋本店ならびに汽車製造において新製された〔ホハ51 - 54は日車東京支店製、ホハ55 - 58は汽車製造製、ホハ59・60は日車名古屋本店製。〕。前述のように後者については全鋼製構造の構体を採用したことによって別形式に区分されたものである。 以上の経緯によって、車体形状や台車その他は全て電車そのものの仕様で落成した本系列は、電化進捗に伴って1927年(昭和2年)に全車が電車化改造を施工され、デハ3形・クハ2形と改称・改番された。その後、戦後に実施された大改番に伴う複雑な改番や機器換装を経て、1966年(昭和41年)まで運用された。 本系列の導入経緯については、前述のように落成当時の東武の保有路線における電化区間割合の低さとそれに伴う電車の所要数に関連して客車として竣功したとの解釈が一般的になされている。しかし一方で、本系列が新製された1926年(大正15年)には鉄道省より2両(デハ43200形43237・43238)、青梅鉄道より1両(デハ1形1)、計3両の電車を借入し、うち鉄道省からの2両についてはその後約1年間にわたって借入期間を延長しつつ運用されており〔同2両は本系列の電車化改造竣功に伴って1927年(昭和2年)に鉄道省へ返還された。〕、東武が当時保有した電車のみでは車両不足をきたしていたことが推察される〔花上(1973) p.61〕。また、同3両の借入理由について東武側は「同年竣功予定の車両落成遅延のため」としていることから、本系列が当初客車として竣功したことについては、単純に電装品の手配遅れによる緊急避難的なものであったとの指摘も存在する〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東武デハ3形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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