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東武バス(とうぶバス)は、東武グループが運営するバス。 *かつて東武鉄道バス事業本部が運行していたバスの通称。 *東武バス株式会社 - 上記同社からの分社により設立。下記の運行担当子会社4社の統括会社。 *東武バスウエスト *東武バスイースト *東武バスセントラル *東武バス日光 *上記の運行担当4社が運行するバスの総称。 * 東武バスグループ - 東武バス株式会社および運行担当4社の総称。 本項では東武バス株式会社を中心に、これらを総括して詳述する。 ---- 東武バス株式会社(とうぶバス、英称:TOBU BUS CO., LTD.)は、東京都北東部、埼玉県南部および西部、千葉県北西部、そして日光地区に路線を有する東武鉄道グループのバス事業者である。かつて東武バスといえば東武鉄道バス事業本部の運営するバスを指す呼び名であったが、2002年4月に同事業本部が分社化され、現在の東武バス株式会社が設立された。なお、同社は統括会社(中間持株会社)として管理業務のみを行ない、運行は地域ごとに設立された東武バスセントラル、東武バスウエスト、東武バスイースト、そして東武バス日光の4社が担当する。これらの運行会社を合わせた5社から東武バスグループを形成する。 == 沿革 == === 東武バスの生い立ち === 東武バスの歴史は、昭和初期に東武鉄道が2本建ての経営形態によりバス事業を開始したことに始まる。その1つは、1933年に傍系会社として毛武自動車を設立、群馬県や埼玉県北部でのバス事業を開始したものであり、もう1つは、翌1934年に東武鉄道本体が川越地区において、直営の路線バス事業を開始したものである。以後、概ね東武本線沿線は毛武自動車、東武東上線沿線は直営によってバス路線の拡張が進められることとなるが、関東地方では他の大手私鉄と比べると事業開始の時期が遅かったため、既に沿線には多数の中小バス事業者が乱立しており、事業の拡張は主にそれらの買収・合併により進められた。 毛武自動車は当初、群馬県太田に営業所を置き、太田・桐生・熊谷周辺に路線を有していたが、創業から1年が経った1934年には早くも両毛回進社、東毛自動車、毛武遊覧自動車の3社を合併し、事業規模を拡大した。さらに、周辺事業者の買収を行い、1935年には群馬県北部における営業を本格化するため前橋営業所を設置、翌1936年に騎西自動車、野州自動車等を買収し、加須、栃木、渋川に営業所を新設した(前橋は渋川の出張所となる)。これらによって、事業区域が毛武地方外にも拡大したことから、1936年9月に社名を東武自動車と改めた。 次いで東武自動車は1937年、奥日光自動車、赤城山自動車、坂東自動車を合併、利根地方に路線を拡大するとともに沼田営業所を設置した。また同年には、桐生市内線等を運営する桐生市街自動車も合併し、桐生、伊勢崎、館林にも営業所を開設した。 一方、川越地区において開業した東武鉄道の直営バスも、その後徐々に周辺事業者の買収を繰り返し、成増・越生・松山(現東松山)・草加周辺等へと路線網を拡大していた。1939年に至り、これらも東武自動車が引き継ぐことでバス事業の一元化が図られることとなり、旧直営バスの車庫は川越営業所、草加営業所となった。さらに同年、傍系会社の京水モーターバス、埼玉自動車、英自動車の3社を合併、それぞれの事業を南千住、熊谷、下館の各営業所を設置して継承した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東武バス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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