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下野電気鉄道デハニ101形電車(しもつけでんきてつどうデハニ101がたでんしゃ)は、下野電気鉄道が1931年(昭和6年)に新製した電車。下野電気鉄道は1943年(昭和18年)5月1日付で東武鉄道に吸収合併され、戦後の大改番によって本形式はモハニ1670形と改称された。 本項では後年本形式を種車として誕生した荷物電車モニ1670形についても併せて記述する。 == 概要 == 下野電気鉄道藤原線(後の東武鬼怒川線)は、762mm軌間の架線電圧600V電化路線として新今市 - 藤原(現・新藤原)間において営業を行っていた。その後、同社の親会社である東武鉄道の日光方面への路線延長計画に関連して、円滑な連絡運輸を目的として東武の保有路線との軌間統一が実施されることとなり、1929年(昭和4年)4月と翌1930年(昭和5年)5月の二度にわたって1,067mm軌間への改軌工事が実施された〔この段階において藤原線は1,067mm軌間の架線電圧600V電化路線となったが、後述のように翌年には架線電圧1,500V昇圧を控えていたことから改軌に伴う車両の新製は行わず、東武日光軌道線より車両を借入し昇圧までの繋ぎとした。〕。 翌1931年(昭和6年)2月には架線電圧の1,500V昇圧が実施され、同時に東武との直通運転が開始された。しかし、昇圧完成に合わせて発注した3両の電車、すなわち本形式の竣功が遅れたことから、昇圧完成当初は東武より借入した大正13年系デハ1形6 - 8によって列車を運行した。昇圧より約5ヶ月を経過した1931年(昭和6年)7月に本形式3両、デハニ101 - 103が製造元の川崎車輌(現・川崎重工業)より到着し、同月より運用を開始した。 本形式は下野電気鉄道の東武への吸収合併後も引き続き藤原線改め鬼怒川線で運用されたが、後年2両が館林地区のローカル線へ転属し、残る1両は荷物電車(荷電)化改造を施工され、ともに1972年(昭和47年)12月まで運用された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下野電気鉄道デハニ101形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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