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東 洋一(あずま よういち、1949年 - )は、日本の古生物学者。日本の恐竜研究第一人者で、福井県立恐竜博物館特別館長。 ==略歴== 広島県呉市出身。小学5年の時、学習塾の先生に連れられ庄原市の西条川に化石採集に行き、その初めての化石採集で鯨の化石を発見したこと、また山から鯨の化石が出た不思議さに魅せられた。福井大学教育学部中学校教育養成課程地質学専攻を卒業後、同学部技官教務員、小学校教師を経て福井県教育庁文化課主事(福井県立博物館準備室)となる。1978年、日本で初めて岩手県で草食恐竜の竜脚類(モシリュウ)の骨が発見されると、熊本や群馬で肉食恐竜の骨や足跡の化石が次々発見された。それまで日本には恐竜はいなかったとされていたため、当時大いにロマンを駆り立てられたという。1983年に福井県立博物館(現・福井県立歴史博物館)が開館し、地質学の学芸員(のち総括学芸員)となる。 1985年、その3年前に石川県の手取層群で拾ったという黒光りする石を受けとる。サメの歯ではないかと持ち込まれたその化石を、恐竜の歯に間違いないと確信した東は白峰村教育委員会とともに調査を行うと、恐竜の歯や骨、足跡を発見した。「福井県でも恐竜の骨が絶対に出る」と県の事業として、福井県勝山市で1989年から国内初の本格的な恐竜発掘を始めた。すると5年の間に8種・300点以上の骨や足跡化石が発見され、勝山は日本一の恐竜産地となった。しかし当時の日本では化石を発見しても比較する資料も文献もなかった。中国の企画展を機に恐竜研究の世界的権威である中国科学院古脊椎動物古人類研究所の董枝明教授と出会い、比較資料と文献の提供を受ける。1993年、東京大学で博士(理学)の学位を取得。論文の題は「The Early Cretaceous Dinosaur Ichnofauna and its Paleoenvironmental Development in the Tetori Gronp,Japan(手取層群の白亜紀前期恐竜印跡動物群とその古環境変還)」。1995年には日本で初めてイグアノドン科の恐竜「フクイリュウ(和名)(現・フクイサウルス・テトリエンシス)」の全身骨格を復元。 2000年、勝山市に福井県立恐竜博物館をオープンさせた。2009年4月、同館館長に就任。北海道大学・広島大学・福井大学などで非常勤講師を務め、また中国科学院古脊椎動物古人類研究所などの客員研究員となっている。福井県勝山市での調査はもとより、日本各地の発掘現場や中国、モンゴル、タイなど海外の発掘に足を運び、かつ恐竜調査の先進地である中国、アメリカ他との共同研究を重ねるなど精力的な活動を行っている。2010年4月からは特別館長。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東洋一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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