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東洋紡績富田工場(とうようぼうせきとみだこうじょう)は、三重県四日市市富州原町(旧三重郡富洲原町の大字松原(小字塩役)西元町自治会・四日市市(旧富洲原町)の松原地区宮町自治会)に存在した東洋紡績株式会社(現:東洋紡)の最大規模の工場。社宅地の住民が富洲原地区松原宮町自治会を構成して、四日市市富州原町の元町社宅・四日市市松原町の宮町社宅・社員寮及び富田工場の用地は商業施設のイオンモール四日市北や住宅地(小規模住宅団地・サニーハイツ自治会を構成するマンション)や公共施設(三重県警察の四日市北警察署・四日市松原郵便局・創価学会の四日市北文化会館)として転売された。 ==歴史== 1914年(大正3年)に、三重県四日市市発祥の四日市の実業家の十代目伊藤伝七創設の三重紡績と大阪紡績が対等合併して東洋紡績株式会社が誕生した。昭和期に、東洋紡績は、対等合併や吸収合併を繰り返し、66工場と100個の関連会社を持つ大企業に発展した。 東洋紡績富田工場は富洲原の地方政治家の伊藤平治郎が誘致した工場である。塩役運河と呼ばれた堀川の西の堤防に囲まれた土地が富州原に広がっていて、この区域は大字松原小字塩役と呼ばれていて、塩水が混じるので不良田が多くて、芦原になっている場所であった。農業には不向きだが、海上交通は便利で工場建設に有利な条件を備えており、工場立地には最適地であった。1918年(大正7年)に紡績設備第一工場などが三重郡富洲原町大字松原小字塩役の約20万㎡の敷地に建設された。三重郡富洲原町の二代目平田佐次郎・片岡徳松・加藤正家(三重郡富洲原村長)・田村与三吉(三重郡富洲原村の助役)・伊藤平治郎(三重郡富洲原町会議員)などの政治家が東洋紡績富田工場敷地となった大字塩役の土地買収に尽力した。同じ三重郡富洲原町(四日市市富洲原地区)の天ヶ須賀地区には平田紡績製網工場(東洋紡績富田工場と平田紡績四日市本社工場は富洲原地区の2大企業で富洲原2大紡績工場であった)があり、近隣の三重郡富田町(四日市市富田地区)には網勘製網が立地していた。〔四日市市立富洲原小学校創立100周年記念誌の147ページの項目〕紡績事業とミシン糸中心の繊維製品の製造がされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東洋紡績富田工場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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