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東洲 勝月(とうしゅう しょうげつ、生没年不詳)は、明治時代の浮世絵師。 ==来歴== 姓は小島、名は勝美。東洲、東州、勝月と号す。浅草永住町に住んでいた。明治21年(1888年)ころから活動を始めており、憲法発布関係、博覧会関係、「観古東錦」シリーズのような風俗画、日清戦争絵などを描いている。作画期は明治20年代、30年代であった。大判3枚続の錦絵「国会議事堂之図」は、明治23年(1890年)3月の作品で、天皇が国会議事堂前へ馬車で到着、儀仗兵たちが出迎えているところを描いたものであるが、その発行は開会の半年以上も前の3月で、同年11月に開かれる予定の第1回帝国議会開会式という国家的大イベントを当て込んで、勝月による想像で描かれ出版されたのであった。浮世絵はもともと、このような側面をもっていたが、社会の急速な西欧化に絵師たちの表現力も追いつかなくなっていたのであろう。洋服を着た日本人の人体のデッサンもまるで人形のようである。また、明治23年に石版により『新撰彫物画譜』を著している。 * 三代目小島幸治による伝記 * 東洲勝月は本名を小島勝美と言い、嘉永二年、1849年に川越の城主、松平斉典公の御右筆掛(書記係)の次男に生まれる。 * 1868年戊辰戦争が始まると勝美(18歳)は兄(20歳)とともに彰義隊に加わり上野の山で官軍との激戦の末敗れる。 * 翌年浅草に帰り仲見世通りで辻似顔絵師となり、後にお寺の住職に認められ仏画絵師の道に入る。 * その後浮世絵師水野年方の弟子となり「勝月」の画号を頂く。 * 以後没するまで浮世絵ならびに錦絵の道に専念した。享年46。 * 家系 小島勝美、小島徳三郎、小島幸治、小島政幸。 * 以上三代目小島家の資料を基に記。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東洲勝月」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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