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東百官(あずま ひゃっかん)は、関東地方において武士が称した官職風の人名。朝廷の官職を模倣してつくられたもので朝廷における官職には存在しない。百官名と同じように、名字の後、諱の前に入れて名乗った〔国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第1巻』(吉川弘文館、1983年)214頁参照。〕。 ==概要== 別名、相馬百官(そうま ひゃっかん)ともいい、平将門が新皇を称して関八州に半独立政権の樹立を図った際に設けた官職体系であるという伝説もある。 朝廷の律令官制に基づいた公卿百官に対して、関東における官職風の人名であることから、東百官、武家百官ともいわれた。本来、武士の任官は幕府を経由して朝廷に申請され、陪臣・郎従が官職を授かることは無かったが、応仁の乱以後、大名が家臣に勝手に百官名を与える例が現れたほか、実際の四等官に類似した名乗り創作して与える場合もあった。こうした武家社会で用いられた歴史的な根拠のない創作の官職風の名乗りを東百官と呼んで実際の官職名と区別した。江戸時代においても広く使用されたため、江戸時代の学者は「由緒正しからず、名乗るべからず」と警鐘を鳴らしたが、やがて有力な武家や名門の子弟までもがこれを使用するに至った〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東百官」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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