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東美(とうび)は、長崎県で総合スーパーマーケット「S東美(エス-)」を運営している企業である。CGCグループに加盟している。関連会社が運営するスーパーマーケット「Sマート(エス-)」、「STAY(ステイ)」についても本項で解説する。 == 沿革 == 前身は、佐々木房男(1903年4月11日-1981年10月5日)が1923年(大正12)11月に創業した「佐々木防水布雨具店」。当時は黒一色の雨合羽が主流であったが、色付きの防水用薬剤を開発して青や黄色の「明るい色の雨合羽」を売り出し、その好評から「雨合羽の佐々木」と呼ばれる様になる。長崎市恵美須町で2年、西古川町で3年営業の後、昭和4年、浜町の本通り(現在の三菱東京UFJ銀行長崎支店の向かい)に進出し、2年後には衣料雑貨、化粧品、小間物などを加えて、屋号を「佐々木百貨店」と改めて開店。百貨店の呼称を使った長崎で最初の事例とされる。しかし、まだ基礎が浅かった為、ワシントン会議につぐ不況に対応できず、1935年(昭和10)に倒産する。 佐々木は、十八銀行の当時の営業部長が朝鮮銀行の満州各地支店長に紹介状を書いてくれたおかげで大連に落ち着き、冀東政府の下で、長崎・佐賀・熊本などの物産を販売する「山田屋商店」を興して再起をはかる。後に天津の造幣局払下げで三井、三菱に競り勝ち巨利を得て、冀東貿易公司のほか数社の事業を経営する。やがて、大東亜戦争に突入すると、天津での全事業を閉じて長崎〜大連航路の最後の便で長崎に引き揚げる。昭和16年、酒屋町(現在の栄町、魚の町辺り)で鉄鋼工場を併設した旅館松竜を開店。工場では旋盤用の切削油が不足していたが、かつての防水用薬剤開発の経験を生かし、切削油を開発して使用していた。それを聞きつけた軍関係者からの研磨剤の製作依頼も受ける。やがて、これらは原爆で焼失してしまう。 昭和20年10月、疎開させていた高級美術品を集め、東浜町(現在の浜町)に進駐軍向けの高級美術品店「佐々木美術品店」を開業。昭和22年6月に、衣料と洋品専門の店「東洋美装店」として再発足する。昭和26年3月24日・25日には、総数50名のモデルが出演して春のモードを紹介する、長崎初のファッションショーを開催。昭和30年代後半、創業の思いにも繋がるレインコート販売に執念を燃やしており、雨が降り出したらすぐに、東洋美装店担当の広告代理店に依頼してNBC長崎放送でレインコートのラジオCMを流してもらい、大売れしたという。NBCがテレビ放送を開始する様になると『サンセット77』、『0011ナポレオン・ソロ』の提供スポンサーとなる。 昭和41年9月、新地通西浜の町角の長崎松竹映画劇場跡地〔昭和39年12月27日、火災により全焼した跡〕で工事を進めていた場所に店舗を移転し、10月1日に屋号を「S東美」と改称して現在の地に開店。工費5億8000万円をかけた鉄筋コンクリート造で、地下1階・地上8階・塔屋3階建てという、近隣の岡政、浜屋両百貨店に並ぶ高層店舗であった。地上6階までをS東美が使用し、7・8階は長崎松竹劇場・ビリヤード・麻雀などの娯楽施設、屋上には遊園地・バッティングセンターを備えていた。昭和43年3月にはスーパーマーケット「Sマート」を運営する関連会社「エスマート」を創設する。2011年(平成23)9月、S東美本店の地下食料品売場を全面改装。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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