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東西教会の分裂(とうざいきょうかいのぶんれつ)とは、キリスト教教会が、ローマ教皇を首長とするカトリック教会(西方教会)と、東方の正教会とに二分されたことをいう。多くのシスマ(分裂)の中でも史上最大規模だったことから大シスマとも呼ばれる〔14世紀から15世紀の西方教会において対立教皇が乱立した教会大分裂を指して使われることも多い〕。 分裂の年は、日本においては、ローマ教皇とコンスタンディヌーポリ総主教が相互に破門した1054年とされることが多い。 しかし395年にローマ帝国が東西に分割された後、476年の西ローマ帝国滅亡を経て、東西両教会の交流が薄くなり、数百年の間に教義の解釈の違い(フィリオクェ問題等)、礼拝方式の違い、教会組織のあり方の違い(教皇権に対する考え方の違い、司祭の妻帯可否等)などが増大した〔◆第8世紀◆ - トマス・ホプコ神父著“TheOrthodox Faith vol.3 Bible and Church History” (日本語訳:司祭 ゲオルギイ松島雄一)〕〔◆第9世紀◆ - トマス・ホプコ神父著“TheOrthodox Faith vol.3 Bible and Church History” (日本語訳:司祭 ゲオルギイ松島雄一)〕。そうした流れの中に1054年の事件があるのであり、一応、1054年の「相互破門」が日本の世界史教科書等で一般的な目安ではあるが、異論も少なくない。1054年の相互破門自体は東西双方から解消されているが、未だに東西両教会の「合同」は成立していない〔◆第11世紀◆ - トマス・ホプコ神父著“TheOrthodox Faith vol.3 Bible and Church History” (日本語訳:司祭 ゲオルギイ松島雄一)〕。 == 分裂の経緯 == === 11世紀まで:東西教会の差異拡大 === 一般に東西両教会が分裂したとされるのは「1054年のローマ教皇とコンスタンディヌーポリ総主教(コンスタンティノープル総主教)の相互破門」と言われる事件であるが、これ以前にも、 *ローマ教皇(ローマ司教)の地位(教皇首位権問題) *典礼(奉神礼)の形式の差異の広がり *フィリオクェ問題 *助祭・司祭も妻帯が認められなかった西方に対し、輔祭・司祭には妻帯が認められていた東方という、聖職者の妻帯についての考え方の差異 *聖像破壊論争 *東ローマ帝国の事前承認を経ないローマ教皇によるカール大帝の戴冠(偽書『コンスタンティヌスの寄進状』も参照) *フォティオスの分離 *スラヴ語奉神礼(典礼)の是非 *モラヴィアおよびルーシを、ローマとコンスタンディヌーポリのいずれが管轄するか(''モラヴィア王国、オフリドのクリメントも参照'') 等のさまざま問題をめぐり、両教会の間には数百年間にわたる論争と差異が既に顕在化していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東西教会の分裂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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