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荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡(あらふね・あずまやふうけつさんしゅちょぞうしょあと)は、群馬県下仁田町の荒船風穴および同県中之条町の東谷風穴を対象とする国指定の史跡である。明治時代後期から大正時代にかけては、全国的に風穴を蚕種(蚕の卵)の貯蔵に利用することが行われていた。その中でも、荒船風穴は最大規模の蚕種貯蔵施設として機能しており、県内では東谷風穴がそれに次いだ。荒船・東谷の両風穴は蚕種貯蔵風穴の中で、国指定の史跡となった最初の事例である〔『荒船風穴 』(下仁田町発行のパンフレット)〕。また、荒船風穴は世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産である。 == 蚕種保存風穴 == 江戸時代末期の開港以来、生糸や蚕種は日本の重要な輸出品となっており、明治時代に製糸業が発達すると、原料となる繭の増産が求められるようになった。しかし、蚕は基本的に春に孵るので、増産のためには蚕種が孵る時期を遅らせ、夏や秋に養蚕する数を増やす必要が出てくる。そこで活用されたのが風穴であった。 風穴は夏でも冷風が噴き出すことから、江戸時代には漬物の貯蔵場所などに活用される例があった。風穴は、気温の上昇が孵化の目安となる蚕を蚕種のまま留めおくのに適しているが、日本で最初に風穴を蚕種貯蔵に利用したのは稲核村(現長野県)の前田喜三郎で、1865年(慶応元年)5月のことだったとされている(稲核風穴)。風穴による蚕種貯蔵は、横浜で売れ残った蚕種を保存しておくことにも活用され、長野県のみならず、他の府県でも風穴の利用が見られた。しかし、数の点で他府県を凌駕していたのは長野県で、明治43年には全国1府33県に点在していた風穴240か所のうち、実に112か所が長野に集中していた〔。風穴が増えるようになると、国も蚕業取締規則(1911年)を制定し、蚕種貯蔵風穴を地方長官の許可制にするなど、規制を敷いた〔。 群馬県では、明治4年(1871年)に一度だけ風穴が利用されたが、あまり成績が良好でなく、このあと明治30年代後半まで見られなくなる。その群馬での本格的な風穴利用の初期に作られ、日本最大級の蚕種貯蔵風穴に成長したのが荒船風穴である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「荒船・東谷風穴蚕種貯蔵所跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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