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株式会社東邦相互銀行(とうほうそうごぎんこう)は、愛媛県松山市に本店を置いていた相互銀行である。統一金融機関コードは0577であった。 == 歴史 == 1947年(昭和22年)6月に四国建物無尽として創業、1949年(昭和24年)9月に東邦建物無尽、1958年(昭和33年)4月に東邦相互銀行と商号を変更。 その後経営不振から1971年(昭和46年)に坪内寿夫率いる来島グループ傘下となり、当時の社長を始め創業家の三品一族は経営陣から退任。同グループ挙げての支援によって一時は業績を上げたものの、グループ入りと相前後して坪内が愛媛県当局及び伊予鉄道や大王製紙をはじめとする同県内の財界主流と対立を深めていたこともあって、県が預託金を順次引き揚げるなど距離を置き始めたばかりか、企業取引先も坪内系企業やその関係先に偏るなど半ばグループの機関銀行の様相を呈していた。1985年(昭和60年)からの円高で三光汽船が会社更生法の適用を受けたことなど造船・海運不況によって来島グループが経営不振から多くの関連企業を整理すると、東邦相銀もその影響で業績不振に陥った。1989年(平成元年)以降、大半の相互銀行は普通銀行(第二地方銀行)に転換したが、東邦相銀は財務面の問題から第二地銀に転換出来ず相互銀行として唯一存続することになる。 1992年4月1日、同じ愛媛県を地盤とする伊予銀行が、預金保険機構から80億円の低利融資を受けて、救済合併(吸収)し、これをもって相互銀行という業態は消滅した。当時の社長は水口義寛。これを受けて相互銀行法も廃止された。バブル崩壊の時期であったが、日本列島に金融不安の嵐が吹き荒れるかなり前で、銀行は破綻しないという「神話」の残っていた時代のことである。なお、預金保険機構の資金援助が発動した初のケースでもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東邦相互銀行」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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