|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 東 : [ひがし] 【名詞】 1. east ・ 実 : [み, じつ] 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result ・ 位 : [くらい] 1. (n,n-adv,suf,vs) grade 2. rank 3. court order 4. dignity 5. nobility 6. situation 7. throne 8. crown 9. occupying a position 10. about 1 1. almost 12. as 13. rather 14. at least 15. enough to 1
東郷 実位(とうごう さねかた、明和5年8月22日(1768年10月2日) - 1851年(嘉永4年))は江戸時代後期の薩摩藩士。諱は初め実興、のち実位。示現流剣術の師範の東郷家8代目。家格は小番。鹿児島城下の天神馬場に住んでいた。幼名は善十郎。通称は弥十郎、藤兵衛。 ==略年譜 == *1768年(明和5年)8月22日:東郷実昉の嗣子・東郷実乙と佐多休右衛門の娘との間に長男として誕生。 *1775年(安永4年):祖父・実昉の隠居を受け、父・実乙が家督相続。 *1804年(文化元年):父が死去し、家督相続。同時に示現流師範も継承。 *1808年(文化5年)5月16日:薬丸兼武が如水伝という流派名を称して、東郷家門人2、3人に誓書を提出させたため、問題になる〔『示現流兵法』参照〕。しかしながら、近思録崩れや藩の財政再建問題が重なったためか、しばらくこの問題の判決は出なかった。 *同年9月27日:同じ天神馬場に住んでいた尾上甚五左衛門が近思録崩れにより切腹をするが、尾上家の親族に代わり、実際の介錯を担当〔「鹿児島県史料 島津斉宣公・斉興公史料」の『文化朋党実録』参照〕。 *1832年(天保3年):薬丸兼武が遠島処分となり、兼武の独立問題は決着。 *1849年(嘉永2年)4月25日:伊佐郡鶴田郷〔現在の鹿児島県さつま町の旧鶴田町地域〕地頭職に就任。 *1851年(嘉永4年):死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東郷実位」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|