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東郷 実満(とうごう さねみつ、1672年(寛文12年) - 1733年(享保18年))は江戸時代の薩摩藩士、剣客(示現流第4代)。通称は藤兵衛。諱ははじめ重通〔「鹿児島県史料 旧記雑録拾遺 諸氏系図」の『比志島氏系図』では、比志島義時の孫娘は「東郷藤兵衛重通」に嫁いでいるが、これは実満と思われる。〕、重治、後に実満〔将軍家世子・徳川家重の元服によるもの。江戸時代には、将軍の諱やその字の訓読みは藩主レベルでも将軍が下賜しない限り使用しない慣習があり、長州藩の毛利重就や桑名藩の松平定猷のように、藩主でも改名や読みを変える場合があった。薩摩藩では将軍や藩主の本名の字を使ってならないという藩法がある(「薩藩政要録」参照)。これにより通字が「重」の字であった薩摩の渋谷氏一族(実満一家や入来院重教(定恒)など)はいっせいに改名している。なお、「実」の字は東郷家始祖の車内実重にちなむ〕。示現流第3代・東郷重利の子。 ==経歴== *1672年(寛文12年)、示現流第3代・東郷重利の子として生まれる。 *1674年(延宝2年)2月28日、藩主・島津光久に初お目見えする。 *1710年(宝永7年)、藩主・島津吉貴に示現流を上覧。 *1712年(正徳2年)、拝領した天神馬場の屋敷が類火延焼する。 *1732年(享保17年)、弟子の伊地知清右衛門が、道場破りに来た剣客・豊田五郎兵衛(タイ捨流から豊田流を開いた)を倒したことが藩法の立合禁制を破ったとして、伊地知、豊田共々処罰される。 *1733年(享保18年)、死去。墓所は祖先と同じく曹洞宗松原山南林寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東郷実満」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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