|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 東 : [ひがし] 【名詞】 1. east ・ 重 : [おも] 1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important ・ 方 : [ほう] 1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way
東郷 重方(とうごう しげまさ、慶長9年(1604年) - 万治2年(1659年))は、江戸初期の薩摩藩士。剣客。通称は藤兵衛、肥前。諱は重方。示現流の流祖東郷重位の子で示現流二代目。なお、「示現流聞書喫緊録附録系図」では慶長12年生まれとしている。 ==経歴== 幼少より父重位より示現流を学ぶ。タイ捨流の癖が残っていた重位よりも技術は優れており、重位が太鼓判を押す手練だった。 島津光久はじめ藩主一門にも教授し、剣名が高く、多くの弟子を育てた。 重方は武人として優れていただけでなく、老荘の学に通じ、また勧農の才があり、郡奉行〔慶安2年(1649年)に猪俣則康とともに薩摩藩初代郡奉行に就任(職掌紀元)し、重方は万治元年まで同職に就いた。〕や坊泊郷(現在の南さつま市坊津町泊)地頭〔任期は明暦2年2月-明暦9年まで〕等を歴任して2万4千石余りの新田を開くという多大な功績を挙げた。剣客としてだけでなく、江戸初期の薩摩藩を支えた吏僚としても重要な人物である。40余歳で師範を長子に譲り、示現山能学寺の近くに住む。 長子の重利が跡を継いだ。 墓所は父と同じく曹洞宗松原山南林寺。法名は雄山州英庵主。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東郷重方」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|