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東錦 栄三郎(あずまにしき えいざぶろう、1940年10月2日-1994年11月9日)は、1960年代に活躍した東京都新宿区西新宿出身の大相撲力士。高砂部屋に所属していた。本名は星野 栄三郎(ほしの えいざぶろう)。現役時代の体格は173cm、132kg。最高位は東前頭15枚目(1962年9月場所)。得意手は左四つ、吊り、寄り。 == 来歴・人物 == 実家は豚カツ屋で、兄2人は共に明治大学付属中野高校から明治大学に進学し、野球で活躍。三男の栄三郎も、中学校卒業後は兄達と同じ高校に進学するつもりであった。だが、栄三郎の体躯の良さに目を付けた高砂部屋の幕内力士・藤田山が同部屋の横綱・東富士(後、年寄・錦戸)に彼の事を伝え、東富士の再三に亘る勧誘もあって高校進学を諦める事になった。 1956年春、高砂部屋へ入門し、同年5月場所にて初土俵。因みに同期の初土俵組には、後の関脇・海乃山や前頭筆頭の大雄などがいる。当初の四股名は、本名でもある「星野」(その後、1957年1月より、東富士に因んだ「東錦」へ四股名を改めている)。 以来、比較的順調に番付を上げ、1962年3月場所で十両に昇進。そして、十両を3場所連続勝ち越しで突破し、同年9月場所にて入幕を果たした。 だが幕内では苦戦し、常錦や星甲らには勝ったが3勝12敗と大きく負け越して、1場所で幕内の座から陥落。 以後は29場所連続で十両に在り、1966年1月場所に於いては十両優勝を遂げるなど頑張ったが、遂に2度目の入幕は叶わなかった。 5年8ヵ月ぶりに幕下へ下がった1967年9月場所では、初日から休場し、この場所を以って26歳の若さで引退。 引退後は角界に残らず、家業である豚カツ屋の経営に従事したという。 1994年11月9日、逝去。享年54。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東錦栄三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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