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鞍ヶ嶽 楯右エ門(くらがたけ たてえもん、1898年11月6日 - 1939年11月1日)は、熊本県熊本市出身で1920年代に活躍した大相撲力士である。本名は上田善三郎。身長173cm、体重120kg。現役中から年寄兼任として後進の指導につとめた時期もあった。最高位は西前頭筆頭(1922年1月場所)。 == 来歴 == 1914年1月、友綱部屋に入門し初土俵をふむ。1918年5月、横綱太刀山が独立して興した東関部屋に移籍。兄弟子で後に大関となる太刀光よりも素質面で期待され、期待通り1919年5月場所には十両に昇進した。しかし、その場所後、勝負検査役選挙をめぐるトラブルで親方が廃業したため、太刀光らとともに高砂部屋に預けられることになった。 それでも、順調に昇進し、1921年1月場所には入幕を果たす。左四つからのふりまわす相撲が得意で、1922年5月場所には当時大関の常ノ花寛市を破ることもあったが、その後は伸び悩んだ。現役時代から二枚鑑札で太刀山の師匠から譲られた東関の年寄名跡を襲名し、1924年5月からは四股名も東関にあらため、年寄名で土俵にあがった(年寄名で現役をつとめた力士は彼が最後である)。 1930年10月場所限りで現役を引退、年寄専任となったが、1934年5月場所限り廃業した。最高位は西前頭筆頭であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鞍ヶ嶽楯右エ門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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