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松下加兵衛 : ミニ英和和英辞書
松下加兵衛[まつした]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [か]
 【名詞】 1. addition 2. increase 
: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy

松下加兵衛 ( リダイレクト:松下之綱 ) : ウィキペディア日本語版
松下之綱[まつした ゆきつな]

松下 之綱(まつした ゆきつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将大名豊臣秀吉織田氏の家臣になる以前に仕えた人物で、之綱は秀吉の恩人であり武芸・学問・兵法などを教えたとみられる。
== 生涯 ==
松下氏は、近江国守護近江源氏六角氏の一族である円山城主(現在の滋賀県近江八幡市)・西條氏の庶流と称して、松下氏の祖にあたる西條高長比叡山の衆徒であったが、遠江国平河郷で還俗し、鎌倉時代末期に三河国碧海郡松下郷(現在の愛知県豊田市枡塚地区)に移住し、これにより苗字を松下と名乗ったと伝わる。
天文6年(1537年)、兵法者で槍術の達人・松下長則の子として、三河国にて生まれる。
遠江国頭陀寺城主(現在の静岡県浜松市南区)として駿河国今川義元に仕えた。松下氏は、今川氏家臣の飯尾氏の寄子として組み込まれたとされる。またこの頃、松下氏に木下藤吉郎と名乗る以前の豊臣秀吉が仕えていたといわれている〔年齢から考えて、秀吉が仕えたのは長則であると思われるが、通説・各種歴史書では之綱となっている。ちなみに、冨永公文は、秀吉と松下之綱は同年であるので、秀吉は長則に仕えたと見るべきとしている。〕。しかし義元の死後、遠江曳馬城(後の浜松城)・飯尾連竜が今川氏を見限り、周辺の親今川氏と反今川氏の豪族同士で抗争が起きると、永禄6年(1563年)に今川方の軍に頭陀寺城が攻め落とされ炎上した(遠州忩劇)。なお、通称「松下屋敷」の地下にある頭陀寺城跡は、平成13年(2001年)10月に発掘調査が行われ、炎上跡が確認された。
やがて今川氏が滅亡すると、徳川家康に仕えるが、天正2年(1574年)の第1次高天神城の戦いにおいて籠城して武田氏と戦うも、のちに降伏した。すると、織田氏家臣で長浜城主になっていた秀吉によって、之綱は家臣として召し出されたとみられる〔ただし、秀吉が召し出した時について、『松下文書』によって、天正11年(1583年)10月6日とされてきたのが通説である。〕。天正3年(1575年)の長篠の戦いの際には秀吉の前備として兵100を預けられた(『山内一豊公紀』)。
天正10年(1582年)の本能寺の変から天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いを経て、同年丹波国河内国伊勢国などの内に秀吉から3,000石の所領を与えられた。之綱が丹波に所領を与えられたのは、大坂城築城のための用材を淀川水系を利用して流下させたからであろうと考えられる。天正15年(1587年)3月には、秀吉の九州遠征にも前備の直属部隊として兵150を率いて従軍(『久野保心氏所蔵文書』名古屋市立鶴舞中央図書館蔵)、秀吉が4月9日付けでその前備17名に宛てた朱印状で、「松下加兵衛の事、先年(秀吉が)御牢人の時、御忠節の仁(人)に候」と述べ、松下加兵衛との旧縁に言及、格別の計らいを指示している。(『松下文書』)この年、従五位下・石見守に叙位・任官され、同年に丹波3,000石を加増され6,000石となった。
天正18年(1590年)の小田原征伐後、徳川家康が関東に移封されると、10月3日に遠江で1万石追加され、遠江久野(袋井市久能)1万6,000石の所領を秀吉から与えられた。この時の居城である久野城は城の規模は小さいが、瓦の格式が高く立派な作りであったと発掘調査の結果明らかになっている。
慶長3年(1598年)2月晦日に死去。享年62。家督は次男の重綱が継いだ。長男・暁綱が継がなかった理由はよくわかっていない。また、娘のおりん柳生宗矩に嫁いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松下之綱」の詳細全文を読む




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