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松下 建太(まつした けんた、1987年8月17日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(投手)。 父は元プロ野球選手の松下建夫〔渡辺直、西武移籍後初打席で二塁打→生還 日刊スポーツ 2013年7月13日紙面から〕。 == 経歴 == === プロ入り前 === 広島県広島市東区出身〔「2015プロ野球 12球団全選手 カラー百科名鑑」 廣済堂出版発行 97頁〕。小学校5年生の時に野球を始め、「鯉城シニア」では二学年下の中田翔とバッテリーを組んでいたことがある〔埼玉西武5位・松下建太「指名された瞬間、涙のワケ」 SPORTS COMMUNICATIONS 2010年1月28日掲載〕。 明徳義塾高校では1年生の春〔2009年ドラフト指名者 ◇西武5巡目 〕または夏〔にベンチ入りした。チームは1年生時の夏、2年生時の春と夏の計3回甲子園に出場した〔「宝島別冊 プロ野球選手データ名鑑2015」 宝島社発行 80頁〕。3年生時の夏の甲子園・全国大会にも出場を決めていたが、大会の組み合わせ決定後に不祥事(部員による暴力行為、および部員の集団喫煙)が発覚し、出場を辞退した〔明徳義塾、夏の高校野球の出場辞退 不祥事が判明 朝日新聞デジタル 2005年8月4日掲載〕。 早稲田大学では1年生時の春にベンチ入りした〔〔。第37回明治神宮野球大会では1試合に登板、1回を投げ自責点1だった〔明治神宮外苑創建80年記念 第37回明治神宮野球大会 2回戦 早 大 - 大阪産業大 公益財団法人 日本学生野球協会〕。2年生時の東京六大学野球・春季リーグでは9試合に登板、22回を投げ防御率0.82で最優秀防御率投手になった〔東京六大学野球リーグ戦 最優秀防御率 一般財団法人 東京六大学野球連盟〕。第38回明治神宮野球大会では2試合に登板し、計3回を投げ自責点1だった〔第38回明治神宮野球大会 2回戦 九産大 - 早 大 、決勝戦 東洋大 - 早 大 公益財団法人 日本学生野球協会〕。チームはこの年の第56回全日本大学野球選手権大会で優勝した〔第56回 全日本大学野球選手権大会 対戦組み合わせ 公益財団法人 全日本大学野球連盟〕。大学通算では41試合に登板、7勝3敗、防御率1.55の成績だった〔中日 早大エース松下を上位指名へ スポニチ Sponichi Annex 2009年9月25日掲載〕。 2009年10月29日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに5巡目で指名され〔2009年 ドラフト会議開催! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2009年10月29日配信〕、契約金3,500万円、年俸1,000万円(金額は推定)で仮契約し〔西武5位指名の早大・松下と仮契約 日刊スポーツ 2009年11月19日掲載〕、入団。背番号は35に決まった〔2009年ドラフト指名6選手 入団会見! 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2009年12月9日配信 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松下建太」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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