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松下 治夫(まつした はるお、1931年12月 - )は、実業家、芸能プロモーター。京都府立洛北高等学校卒業。 日本の芸能事務所の草分け的存在である渡辺プロダクション(通称:ナベプロ)の創業者の一人。現在は、芸能プロダクションのワイズメンの代表を務める。 ==来歴・人物== 京都府出身。1955年に当時有名人気ベーシストであった渡辺晋と妻の渡辺美佐と一緒に三人で渡辺プロダクションを設立。松下治夫は当時、芸能人の地方公演はそれぞれの土地の興行師が実権を握り、不明朗なことが少なくなく、それをタレントを抱えた自分のプロダクションの手で行い、利益と権利を確保しようという狙いがあった。それまではレコード会社の専属抱えだった歌手・作詞家・作曲家を渡辺プロの傘下に集結させ、芸能界初の月給制を導入。1962年10月には渡辺音楽出版を設立させ、制作担当取締役兼任。これまでレコード会社で行われていた原盤制作を系列の手で作らせ、プロダクションに莫大な利益をもたらすようにした。こうして巨大化した渡辺プロはナベプロ帝国と呼ばれ、渡辺はその総帥として君臨するようになり、松下は陰から支えていた。渡辺プロは、政財界にも強力なコネクションを持ち、マスメディアがナベプロを批判することはタブーとなった。 しかし、日本テレビ系列で始まったオーディション番組『スター誕生!』によるホリプロや数年間提携していたジャニーズ事務所など、さらに吉本興業、バーニングプロダクション他のプロダクションの台頭、伊東ゆかり、森進一、木の実ナナ、布施明など人気タレントの相次ぐ独立もあり、1970年代後半から徐々にナベプロ帝国の影響力にかげりが見え始め、1981年、この時渡辺プロダクション非常勤取締役だった松下は渡辺プロを辞職。 ザ・ピーナッツのマネージャーを担当したこともある。 2007年に著した「芸能王国渡辺プロの真実」で「女性タレントは性格がきつく思い込みが激しく役に入り込むタイプが多い。」、「男に騙されていても本気でのめり込んでしまう場合も多い。」「恋愛を止めろと言われても止めた女性タレントは一人もいない。」云々女性アイドルの恋愛話等を赤裸々に書き記した内容が話題を呼んだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松下治夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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