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松井 優典(まつい まさのり、1950年6月26日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手・コーチ・監督。 == 来歴・人物 == 星林高では1968年春夏の甲子園に連続出場、いずれもチームとして初出場であった。春の選抜では三塁手として出場、1回戦で清水市商に延長12回サヨナラ負け〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。夏の選手権は三番打者、捕手として3回戦に進むが、優勝した興国高の丸山朗(早大-大昭和製紙)に完封を喫する〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。三年間の通算打率は四割というハイアベレージをマークしている。高校同期に一塁手の東出康博がいた。 1968年のドラフト会議で南海ホークスに3位指名され入団。捕手から内野手に転向し、1971年9月には三塁手として初の先発出場を果たす。翌1972年のシーズン後半には富田勝の故障もあって三塁手に定着、31試合に先発する。しかし打撃面で実績を残せず、その後は目立つ活躍は無かった。1975年、杉山重雄との交換トレードでヤクルトスワローズに移籍。ここでも出場機会は少なく、1979年限りで引退。 引退後は14年間マネージャーを務めた後、野村克也監督の元で二軍監督(1994年)、一軍ヘッドコーチ(1995年 - 1998年)に抜擢されそのノウハウを学び、。 1999年、阪神タイガース監督に就任した野村に従い、ヘッドコーチ(2001年はファーム統合コーチ兼任)に就任。2001年に解任〔阪神、松井ヘッドら3コーチ解任へ、時事通信2001年10月8日〕。その後は阪神のフロントを経て、2005年に東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍監督に就任。シーズン途中に山下大輔との入れ替えで一軍ヘッドコーチに就任し、シーズン終了後まで務めた。2006年から2009年まで再び二軍監督を務めた。2006年、野村が楽天監督に就任したことで、再び師弟コンビを組んでいた。2011年からは古巣・東京ヤクルトスワローズで二軍育成コーチ兼戸田寮長を務め〔http://www.yakult-swallows.co.jp/red_mpl/topicsView2.cgi?TYPE=t&SEQ=13096〕、2013年限りで退任。2014年からは編成部長に転身する〔週刊ベースボール2014年3月24日号 P21〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松井優典」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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