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松井 勝之(まつい かつゆき)は、安土桃山時代(戦国時代)の室町幕府重臣・武将。京都郊外の松井城主。松井正之(山城守)の長男、康之(佐渡守)の兄。 == 生涯 == 松井氏は松井宗次が足利尊氏に仕えて以来、代々足利将軍の重臣として仕えた〔松井家譜〕 。父の正之(山城守)は将軍足利義晴の重臣として仕えていたが、若い頃に病没したため、長男勝之が家督を継いた。勝之は将軍義輝に仕えていたが、永禄8年(1565年)5月19日に三好義継、松永久秀らの乱により、13代将軍足利義輝、松井新三郎(三男)らが討死する永禄の変が起こった。その変により勝之は殉死し、二男の康之が家督を継いだ〔『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館 391頁〕 。康之は細川藤孝と行動を共にし、後に織田信長の家臣となった。だが、実際には細川藤孝の家臣であったと言われている。天正9年(1581年)、羽柴秀吉が鳥取城攻めを行なった時には水軍衆を率いて秀吉方の付城に兵糧を入れ、鳥取城に兵糧を入れようとしていた毛利水軍を撃退、毛利の将・鹿足元忠を討ち、その勢いで伯耆・泊城を攻めるなど活躍。信長から賞賛されたという(細川家記、松井家譜)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松井勝之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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