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松井 源内(まつい げんない、1858年8月30日(安政5年7月22日〔衆議院『第二十回帝国議会衆議院議員名簿』〔1904年〕、30頁。〕) - 1913年(大正2年)3月9日〔『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』590-591頁。〕)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、寿都町長。旧姓・若林、初名・忠太郎〔『北海道人名辞書』494頁。〕。 ==経歴== 佐渡国雑太郡真野村大字吉岡(現新潟県佐渡市)で農業・若林源右衛門の二男として生まれ、同村・先代松井源内の養子となる〔。その後、養父の死去に伴い源内を襲名した〔。 1873年、義兄・高野吾吉に伴われ江差に移り、同地の呉服商・本郷家に奉公し、各地に行商した〔。1884年、寿都に移り同地で義兄・高野吾吉が経営していた呉服店を帰郷する高野から譲り受け、さらに海産仲買業、醸造業、回漕業、漁業などにも経営を広げた〔。また、寿都外三郡酒造組合長、後志興農銀行 (株) 取締役、寿都銀行 (株) 取締役、寿都倉庫 (株) 社長、寿都汽船 (株) 社長などを務めた〔。 さらに寿都町会議員、寿都町長、所得税調査委員を歴任〔。1904年3月の第9回衆議院議員総選挙で北海道庁函館外三支庁管内から出馬し当選〔。猶興会に属し衆議院議員を一期務めた〔。 1913年3月、病により死去し、養子が源内を襲名した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松井源内」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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