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松井 繁(まつい しげる、1969年11月11日〔蛭子能収『競艇入門』、ポケットブック社、1992年11月、P163。〕〔 - )は、大阪府吹田市出身〔の競艇選手。登録番号3415〔木村1992、256頁。〕上に兄が一人いる。 == 来歴 == 大阪府吹田市南吹田出身〔木村1992、248頁。〕。中学・高校時代はテニスをしていたが、目立つ選手ではなかったという〔木村1992、249頁。〕。北陽高等学校在学時は将来の進路を見い出せず、大学や専門学校を数校受験するつもりでいたが、父親が知人から競艇選手養成所の募集案内を渡されたのをきっかけに養成所にも出願したところ、合格〔木村1992、249-252頁。〕。北陽高等学校を卒業してから本栖研修所に入所する。松井によると養成所時代は同期生の中でも転覆が抜きん出て多く、いつ養成所を退学になるか恐れる日々を送っていたという〔木村1992、252-253頁。〕。しかし同期生の應治千代美によると養成期間の後半に入り実戦形式の研修を行うようになると、松井は服部幸男とともにトップクラスの成績を収めるようになった〔木村1992、253頁。〕。その後、1989年3月24日に選手登録をする。〔BOAT RACE オフィシャル WEB 〕 1989年5月〔木村1992、254頁。〕13日、地元住之江競艇場にてデビュー〔BOAT RACE 住之江 大阪支部選手名鑑2012 〕。デビューから半年でB1級に昇級し、その1年後にA級に昇級した〔木村1992、254-255頁。〕。 *1995年に賞金王決定戦競走に初出場。2004年まで連続出場していたが、2005年は1月に尼崎競艇場でのG1近松賞の優勝戦、7月には桐生競艇場でのオーシャンカップ競走の準優勝戦でそれぞれフライングを切ってしまい、ペナルティにより記念戦線から離脱。連続出場は10で途切れた。翌2006年からは再び連続出場している。 *1996年から始まった競艇SG大会のオーシャンカップ競走は記念すべき第1回の住之江大会から全ての大会で出場しており2011年大会まで唯一のオーシャン・皆勤賞だった。しかし、2012年尼崎競艇場で行われた第17回オーシャンカップはフライング休みのため出場できなかった。そのため連続出場記録は16で止まった。 *2008年9月12日、福岡チャンピオンカップ初日のドリームレースで1着に入り、公営競技史上初の生涯獲得賞金25億円を突破。 *2009年7月14日、津競艇場での「G1モーターボート大賞」で1500勝達成(決まり手は2コース差し)。 *2009年10月13日、尼崎競艇場での「全日本選手権」で初優勝、悲願の競艇ダービー制覇を果たした。 *2009年12月23日、賞金王決定戦競走V3を果たし、SG競走V10を達成した。 *2011年9月8日、鳴門競艇場での「G1大渦大賞」にて優勝。通算100回目の優勝を果たした。業界としては史上12人目の100V(うちSG10勝、GI45勝)という快挙。〔通算100回目の優勝の快挙! 〜登録第3415号 松井 繁選手(大阪)〜 BOAT RACE OFFICIAL WEB SITE 〕 *2011年12月25日、住之江競艇場での「第26回賞金王決定戦」にて2着(1着池田浩二)となり4500万円を獲得、公営競技史上初の生涯獲得賞金30億円突破を果たす(賞金王決定戦終了時点での生涯獲得賞金は30億1948万502円)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松井繁」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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