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松倉城の戦い : ミニ英和和英辞書
松倉城の戦い[まつくらじょうのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [そう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

松倉城の戦い : ウィキペディア日本語版
松倉城の戦い[まつくらじょうのたたかい]

松倉城の戦い(まつくらじょうのたたかい)は、永禄12年(1569年)から元亀2年(1571年)にかけて、越後上杉謙信越中椎名康胤が戦った合戦。松倉城は富山県魚津市(旧新川郡)にあった山城である。
松倉城は越中三大山城にも数えられる名城で、当時の城主・椎名康胤は越中守護代であった。康胤は当初、越中守護代・神保長職と敵対しており、劣勢であった。康胤は越後の上杉謙信に救援を要請し、長職を神通川以西へ追いやることに成功した。しかし長職の勢力は未だ健在で、康胤としては謙信の処置に不満を残していた。
永禄11年(1568年)、康胤は甲斐武田信玄と手を結び、謙信に背き反乱を起こした。このため翌・永禄12年(1569年)に謙信により松倉城を攻められた。しかし松倉城は天然の要害であり、容易には落ちなかった。百日間の攻囲の後、謙信は越後へ引き上げた。
しかしその後も上杉軍による攻撃に晒され、松倉城の防御力は徐々に弱体化。元亀2年(1571年)、ついに松倉城は陥落、康胤は西へと落ち延び、越中一向一揆や更に加賀一向一揆とも手を結んで謙信に対抗した。しかし翌・元亀3年(1572年)には尻垂坂の戦いで一揆方で参戦するも、大敗を喫する。その後、上杉軍に攻められて、自害した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松倉城の戦い」の詳細全文を読む




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