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松倉 恂(まつくら じゅん/まこと、文政10年(1827年)1月3日 - 明治37年(1904年)5月3日)は、幕末仙台藩の重臣。維新後は福澤諭吉のとりなしで官吏に転じた。通称は良助または良輔、のち亘と名乗る。 == 経歴 == === 戊辰戦争 === 仙台藩町奉行・松倉保定(三右衛門)の子として陸奥国に生まれる。 藩主・伊達慶邦の小姓からすすみ、郡奉行及び出入司(勘定奉行並)に任命される〔仙台市 『仙台市史』 66,P〕。仙台藩内の開国派の代表格として、但木土佐、大槻磐渓と並んで仙台藩の洋式装備化に尽力。洋式軍隊・額兵隊の創設に際して、星恂太郎の才能を見出して大番士に任命させる。家老・但木土佐のもとで公儀使出入司として藩財政を取り仕切った。松本要人、大童信太夫、手塚庄左衛門、後藤正左衛門らと共に薩長に対する強硬な主戦派となる。 戊辰戦争が始まると、仙台藩の兵器奉行・軍艦奉行として江戸に在り、武器弾薬の調達を担当。藩で保有していた銃砲器は旧式で役に立たず、江戸でオランダ商人から武器を購入した。ライフル銃1,500挺、エミエー銃1,300挺、ピストル300挺を配備させる。しかし、いざ戦争が始まると、伊達藤五郎、伊達筑前、伊達将監、伊達弾正、伊達安芸らの一門が非戦論を唱え始めて対立した。奥羽越列藩同盟結成に参加し、互角に戦争を進めていたが、榎本武揚艦隊の到着の遅れから、敗戦が濃厚になった。 榎本艦隊の到着があと一ヶ月早まれば、情勢は大きく変わったと分析されている〔星亮一『仙台戊辰戦史―北方政権を目ざした勇者たち』261,P 三修社 ISBN 4384041993〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松倉恂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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